第24回 志摩鳥羽灯台巡り
    2017年11月17日〜18日


地元に愛される志摩と鳥羽の灯台たちに会いに
−ライトハウス・ラバーズ国内ツアー報告−

志摩と鳥羽は、真珠のように輝きに満ちた地であった。 明治時代に、この地で御木本幸吉が真珠の養殖に成功し、鳥羽・志摩は近代化の大きな発展のチャンスを得た。2013年に、20年に一度の伊勢神宮の式年遷宮があり、その余韻が冷めやらないこの地で、2016年にG7伊勢志摩サミットが成功裡に開催され、この地が世界にさらに知られるようになった。ますます日本有数のパワースポットとしての地位を固めつつあるかのようである。変わりゆく時代の中で、地元のシンボルを有効利用し、情報発信し続け、歴史的にも攻めの姿勢を貫く土地なのである。さらにまた、地元の灯台を新たなシンボルとして、地域ごと活性化しようとする志摩市竹内千尋市長が、我らがライトハウス・ラバーズ(以下、ラバーズ)を代表する灯台女子、不動まゆうさんを招待し、地元の人たちを集めて講演会を行うという。これは、是非行かねばならないというラバーズ有志が東京、横浜、京都から名古屋に集合し、まゆうさんも含め19名で平成29年11月17日(金)に志摩に向かった。

近鉄特急で賢島に到着すると、志摩市役所観光商工課の天白さんと岩城さんが待っておられた。講演会の前の時間を利用して、まずお二人に案内をお願いし、地元へのあいさつ代わりに、チャーターしたバスで大王埼灯台と麦埼灯台に向かった(地図参照)。


ラバーズの国内ツアーは、おおむね年に1度実施され、神奈川県の江ノ島で『ライトハウスキーパー』という日本で唯一灯台グッズを専門的に販売する雑貨店のオーナーの山口義昭リーダーが中心で企画・実施してはや18年になる。実はこの地で2008年にも、本ツアーが開催されている。自分は、2004年にこの会に入会したが、会社勤めの身であるため、山口さんの期待には毎回応えきれず、年によって参加がかなわないことがあるが、この2008年には参加できた。その時にも大王埼灯台を訪ねた。今回は2回目である。ご縁を感じる。

日本には、中に立ち入り、登って景色を眺められる参観灯台が15基あるが、この地に、大王埼灯台と安乗埼灯台の2基があるのは、偶然ではないだろう。志摩鳥羽には日本を代表するリアス式海岸があり、険礁や暗岩が多い海の難所でもある。海の幸が豊富なので、そこに多くの漁港があり、日本の基幹港である名古屋港に向かう伊勢湾の入り口であることからも、灯台設置の需要があるのは当然のことである。数えてはいないが、絶対数と密度としては、この地の灯台数は半端な数ではないだろう。大王埼は、志摩半島の南東端に位置する。地名は大王町波切(なきり)といい、その名の通り遠州灘と熊野灘の荒波をスパッと切り分けるように突き出ている。その突端の海食台地の断崖に立つ白亜の灯台に、ラバーズ全員で上った。

昔から、船の事故が多い土地であったが、大正時代に二度の大きな海難事故があったことがきっかけで、この地に灯台が建ち、昭和2年10月に点灯された。突き出た岬の本当に突端に建っているので、階段を上って回廊に出ると360度眺めの良い場所で、天気にも恵まれ、絶景である。と、ブーンという音と共に、黒のドローンが海上の方から近づいてきた。なんと我々ラバーズを歓迎し、空撮しようという市役所の粋な計らいであった。全員が、突き出た灯室前の回廊に出て手を振ったところで何度かシャッターが切られた。ラバーズからもシャッターを切るカメラ好きが、ドローンを攻撃するように撮影し、真っ向勝負をかけていたのがわかるのが、この写真である。


ドローンでの空撮が手軽となり、鳥の目でしか見られない、驚くような構図の写真や動画をたやすく見ることができる時代になった。また、こうした歓迎をうけるということから、灯台趣味が少しずつ世間で抵抗なく理解されるようになり、時代が変化してきていることが肌で感じられるようになった。 一方、どの灯台を巡っても必ず飛んでいるトンビが、この岬でも悠々と飛翔し、時代が変わっても変わらない光景も残っていた。

この灯台の特徴の一つは、地元住民の居住区の近くに建っていることだろう。灯台へ続く港から延びる道沿いの土産物屋などは、灯台ができてから建ったのだろうが、その手前の港の近くにひしめく人家からの距離が非常に近いのである。後で、市庁舎で面会した関係者の方の中には、小さいころからこの灯台を見て育ったという方がいた。灯台は、淋しい風景の中で、孤独にすっくと建つイメージがあるが、ここは人々が暮らす街で、日常の風景に溶け込み、夜になるとけなげに働く姿を間近で見せてくれる珍しい灯台であった。

灯台の北寄りの階段を下りていくと、海沿いに波切神社があった。この神社は、航行の無事を祈る地元の人々の精神的な拠り所となっていた。そこで購入できる「みち灯(あか)り守」には、投光する大王埼灯台の姿が織りで描かれていた。波は切れても、人々の切なる思いはつながっているのである。

帰りは、神社からの階段を下りて右手に折れ、内湾沿いに歩くと、ショートカットでバスが待っている駐車場に出ることができた。その近くには、手ごろな値段で真珠を売る店があり、ここには表面全部を真珠で覆われた贅沢な灯台のタワーが店先に陳列されていた。店の中には、客の姿はなかったが、眠そうな猫がソファーに横になってあくびをしているのどかな場所だった。

さらに麦埼灯台を目指す。ここに行くために、賢島駅近くの「サミット記念館」にも行かず、近くで英虞湾の一番の絶景が眺められると言われる「横山展望台」も行かないことが、バスに乗った直後に満場一致で決議された。ともかく灯台一直線の同志で、メンバーに迷いはないのである。

麦埼灯台は、地名は志摩市志摩町で、東西に横たわる前島半島のほぼ中央で南端に位置し、南の布施田水道(熊野灘)を照らす白亜の大型灯台である。前回のツアーではここに来ていないので、初めて出会う灯台である。灯台は、徒歩で人家を抜け、背の低い常緑樹の林を抜けたところに建っていた。距離感としては、大王埼灯台と同じく住宅地に近い場所に建つ灯台であるが、手前の林の中にコンクリート製の手洗いがあるだけで、観光地化されていなかった。ここは参観灯台ではないものの、灯台と海の間には景色をぼーっと眺めることができるがあり、その前で灯台をバックにメンバー全員で記念撮影をした。


また、潮風などでペンキが剥げてしまってはいるものの、最近では珍しい、さんの全身が描かれた記念撮影顔出しのパネルも健在であった。そう、ここの海は「日本の残したい音風景百選」に選ばれた海女の磯笛が聞こえる海なのである。今は、海女漁の季節ではないので、その音風景を体感することはかなわなかったが、海の波音だけがする穏やかな場所だった。磯笛とはどんな音色がするのだろう。

灯台の前には、はずるずると海岸に崩れるような道があり、灯台に登らなくとも景色は上々。澄んだ水と打ち寄せる波を間近に見ることができる。灯台と海の距離感がいい。驚いたことに、その海を30度ほど右手はるかに眺めれば、岩礁だけがあるらしい狭い場所に1基海中にすっくと建つ小型の灯台が見え、さらに右90度先を見れば、海岸線が見えてそこにも灯台が見えた。まさにどこを向いても灯台が見えるとうくらいの密度の高さである。さらに、反対の左に200度くらいぐるりと振り返れば、先ほどの大王埼灯台の姿も眺められた。

この辺の岩石は、若干赤みがかったレンガ色の雲母のようで、手でもボロボロ崩れ、岬ができる太古の昔に、岩石同士が強い圧力でぶつかり合った場所のようであった。 灯台趣味で何を見るかというと、同じラバーズであっても、メンバーによって注目するポイントが異なるようである。自分には、まゆうさんのフレネルレンズのような灯台について深い造詣はないが、好奇心だけは人一倍あるつもりである。例えば、灯台のボディについた明り取りの窓の個性が好きである。どなたが決めているのか、灯台によって異なるのである。

大王埼灯台の窓は、長方形の片上げ窓だったが、この麦埼灯台の窓は、ハメゴロシの丸い潜水艦の窓のような明り取りのためのような窓である(翌18日回った、安乗埼灯台のも同じ丸窓であった)。灯台が好きだと、灯台の何かを見て、おかずがなくてもご飯がおかわりできるくらいにいろいろと観察することができるという特技が自然に身につくのである。 しばらくして、皆で歩いてバスに戻った。市庁舎で竹内市長に会う時間までには、少し時間があるというので、英虞湾の景色を望む「桐垣展望台」に立ち寄ってもらうことにする。

バスを降りたところが、英虞湾を見晴るかす展望台であった。志摩の展望台は、翌日もう一箇所立ち寄ったが、いずれも山の上のような場所で、不思議なことに高すぎず低すぎず、同じような高さの場所が開けているので、空も広く見えてその解放感が清々しい。G7サミットの会場として使われた「志摩観光ホテル」が正面の彼方に見える。手前の海の中に浮かぶ筏は、天白さんのお話によれば、真珠の養殖がされているという(北にある的矢湾に浮かぶ筏では、牡蠣が養殖されているとのことで、場所を分けて海が利用されている)。海が入り組んで、陸には海岸がなく、直ぐに鬱蒼とした常緑樹が茂っているので島なのか陸続きなのかがわからないが、それも気にならなくなるような、引き込まれるような景色であった。また、その複雑な風景の中に、他にはない国立公園としての風格のようなものを感じた。「志摩」は、まさに「島」の地であることを、この景色が如実に表現していた。

そのあと移動し、いよいよ志摩市長の竹内さんにご面会するために、市庁舎を訪ねた。竹内さんとは前回2008年の国内ツアーでも、志摩町長時代にお会いしており、安乗埼灯台前でラバーズの面々と記念撮影した写真が残っている。その写真と同じニコニコ顔の竹内市長に、ラバーズが一人ずつ手短に挨拶し、市長からは来年この地で灯台サミットを開催したいと考えられていることの意気込みを伺った。さらに、「安乗フグ」、「伊勢エビ」、「牡蠣」が地元の名産品とのお話を伺い、時間は早いが、夕食の期待が否応なく高まった。そのあと同席された市の産業振興部の方々からお話を伺った。部長の浅野さんが、大王町波切のご出身であった。さらに、同じ部署の久保さんは、麦埼灯台の近くのご出身。ミノウラさんは、安乗埼灯台の近くのご出身とのことで、めでたく志摩市の主な灯台がすべてカバーできる方々で市役所のチームが固められていることが理解できた。ただし、副市長の小山谷さんは、高所恐怖症とのことで、灯台が好きになっていただくためには克服しなければならない課題が少々あるようであった。

最後に市長を囲んで、2008年とは異なり、志摩市のマーク(的矢湾と英虞湾でShimaの「S」の字が象られていた)と特産品が市松模様のボードをバックに、ラバーズ全員で記念写真を撮らせていただいた。


時間が来たので、いよいよ本日のメインイベントの講演会会場に移動する。場所は、バスで5分ほどの志摩市商工会館である。広くて天井の高い板張りのホールだった。 時間になって、たくさんの人で会場はいっぱいになった。

まず、まゆうさんから、講演テーマの『灯台の愛し方、楽しみ方』を、「灯台の基本(=基礎知識)」、「(灯台の)三つの魅力」、「(ご自身で見てきた)海外の灯台」の3つの観点から、スライドを用いて発表があった。「三つの魅力」とは、まゆうさんの見方である、1)灯台の近代建築物としての魅力、2)レンズ・ライトアップの魅力、3)灯台に携わる人々の魅力のことである。ご自身の眼と足で体感したたくさんの灯台とそれに関係する人々の素晴らしさの説明があり、美しい灯台やその周りの見事な風景に思わず惹き込まれた。

その講演のあとに、竹内市長が司会者となり、まゆうさん、ラバーズメンバーの主婦代表の南賀(なか)和子さん、同メンバーの元海上保安庁で灯台守の経験のある玉宮孝さんの4名で、ステージでパネルディスカッションが行われた。その中で実際に大王埼灯台が来年の灯台サミットのメイン会場にもなるため、灯台を見に来る人をさらに増やすために何ができるかというテーマで話し合われた。その中で、まゆうさんからは、「灯台好き」ということを「物好き」という好奇の目でなく、海外では地元の人たちが、自分たちの灯台を心から愛しており、同じように、志摩でも地元の灯台にもっと誇りを持てるようになれば、モチベーションとしても高くなり、外から来る灯台好きのヒトを自然に歓迎できるようになると思うという提案があった。さらに、そのために灯台に向かう道の美化などにもっと意識が高まれば、旅して灯台を見に来るヒト達を自然に歓迎できるようになるとされた。

会場からもいろいろと意見が出て楽しいひと時を過ごすことができた。出席したラバーズの面々も、会場に多くのヒトが集まり、まゆうさんの講演に耳を傾け、パネルディスカッションに参加される熱意に、普段は余り感じることがない、ごく普通の人々の静かな灯台愛のようなものを感じることができた。来年この地で行われる灯台サミットにも、熱心な地元の人々がきっと多く集まることだろう。

その夜は、近くの「志摩スペイン村」に投宿。19名ぐらいなら楽々飲み込める巨大なホテルであった。「スペイン」ではあるが、ホテルでいただいた食事は和風で、地元の美味しい海鮮が並んだ。

三重県は、美味しい日本酒が作られる土地として近年脚光を浴びている。「作」、「而今」、「るみ子の酒」などの銘柄を知っているが、残念ながらそれはメニューにはなかった。地元より、むしろ自分が住む関東圏の方が手に入りやすいのかもしれない。 ただし、メニューにあった「宮の雪」(宮ア本店、四日市)は、飲んだことがなかったが、これも調べてみると伊勢志摩サミットで提供された日本酒で、燗酒にしていただいたところ、辛口が際立ち、まことにしっかりとしたコンセプトの味わいであった。

翌日は、予報のとおり雨になった。
風もなくシトシトと降る静かな雨であった。

まずは、バスで安乗埼灯台に向かった。当日の予定は、ここと鳥羽に移動して菅島灯台を回り、鳥羽から夕方の近鉄特急で帰路につくばかり。したがって、それほど急ぐ旅程ではない。両方の灯台は前回2008年のツアーでも訪れており、今回は2回目であるが、いずれも個性があるので、再会が楽しみである。

安乗埼灯台もバスが灯台の近くの駐車場まで乗り付けられる道があり、アクセスはよい。灯台へは駐車場から、松に囲まれた広々とした広場を突っ切って歩く。そこに足を踏み入れた先に灯台の姿が視界に入る。ここの灯台は、灯塔が四角柱であるのが特徴。灯室の周りの回廊も四角くなっていて、イタリアのジェラードアイスを載せるコーンのように見える。傘をさして灯台を目指す。

灯台の入り口に平成25年に指定を受けた「登録有形文化財」のパネルがあり、その脇に「はまゆうの丘」の石碑が建つ。 場所としては、志摩半島の中央の的矢湾の入り口の南の岬の突端に位置し、周囲は大王埼灯台と同じく暗礁が多く、海の難所である。この灯台の歴史は古く、初点灯は明治6(1873)年4月というから、約140年前に初代が建築された。1873年は西暦(グレゴリオ暦)が日本に導入された年でもある。初代は、八角形木造で英国人技師リチャード・ブラントンが指導し、日本で20数番目にできたという。今の灯台は、昭和57年3月に改修されたが、灯室は八角形をしており、初代の遺伝子を残そういう気持ちが伝わってくる。

灯台の手前の10段ほどの階段を上り、入口に入る。朝早い時間なので、他に観光客はいない。灯塔の中の階段も内側が四角なので踊り場あり、ゆったりして登りやすい。最後は、LU-M型灯器を見て、回廊に出ることができる。雨なので、傘をさす。堤防が突き出た先にも灯台が見える。全体に景色が霞んでいる。傘が風に取られるので、やむを得ずすぐに降りることにした。

この灯台のそばにも四阿があることを思い出した。灯台の右手の海のそばで、そこからやや見上げるように眺める灯台の姿が美しい。この灯台が紹介されるときに一番有名な場所である。その場所にも立ってしばし灯台と対面する。

広場に戻って、左手に灯台資料館がある。ここには、灯台に以前設置されていた4等のフレネルレンズや、初代の木造灯台の1/3の模型が展示されていた。

そのあと、バスに戻り、的矢湾大橋たもとの展望台から的矢湾の景色を眺め、昼食の後、菅島灯台に向かうために、志摩を後に鳥羽に移動した。菅島へは鳥羽の佐田浜港から市営の定期船で約20分で渡ることができる。鳥羽マリンターミナルの待合室で、地元の海上保安部交通課の北島大輔さんにお会いする。菅島灯台の案内をしていただける予定になっている。連絡船は前回に来た時より新しく格段に良くなっていた。定刻の14時に出航。船のそばをカモメが舞い、雨は小やみになっているが、やや靄って、周囲は幽玄な島と海の景色である。船は結構なスピードで快走する。途中、緑に点滅する防波堤灯台が見え、珍しいので写真に収めている間に菅島に到着。

菅島灯台へは、港から山道を徒歩で20分くらいかかる。途中、山道を抜けたところで、灯台が姿を現す。灯台はそばでじっくり眺めるのもいいが、景色の中に溶け込んで立つ姿も美しいと思う。黒々とした森の上に屹立する丸みを帯びた白い城のような建物。天気が悪いせいか昼間なのに、すでに点灯しているのが分かる。そこから、さらに6、7分ほど歩くと正面に灯台が全身を現す。灯台へ続く通路が舗装され、前回来た時よりも整備されている。

菅島灯台は、初点が明治6年7月で、安乗埼灯台と同じくブラントンの指導で建造された。特徴として、地元の瓦屋が焼いた白煉瓦で作られていて、現在は日本で最古の煉瓦造り灯台である。灯塔は円柱で、どっしりとして大きな分銅のような独特の安定感ある。白くきれいに塗装されているのは、ここも近年有形文化財として指定されたからかもしれない。北島さんが灯台の入り口の扉を開けてくれる。皆で灯台の中に入り、窓を見、レンズを眺め、回廊にも出た。この灯台の窓は、片上げ窓であったが、大王埼灯台より大きく正方形に近かった。ガラスの真ん中に木の仕切りがあり、外から見ると正方形に近い木枠が十字に仕切られて見えて、それが、入口の上方の正面に一つだけあるために、何かイワクありげなエンブレムのように見えた。塔そのものは、それほど高くないけれど、高台に建っているので眺めは極めて良い。ただし、天候のせいで海が暗く灰色に見えるのは残念であった。

思い思いに、灯台の中と周囲を見て回り、灯台の世界に浸る。灯台の前の空き地は灯台守たちが暮らした官舎跡である。そこの草むらに最近では珍しいカタツムリが角を出していた。

最後に皆で灯台をバックに記念撮影し(写真4)、帰路についた。帰りは別のルートで、道が急だったが、近道だったので、あっという間に港に着いた。暖かい待合室で腰かけた時には、ほっとした。


ラバーズはなぜこんなに灯台が好きなのだろうか。

同じ灯台を二度見ても、そこに新しい発見があることもある。季節や天候が変われば、周りの風景や空の様子や色が異なり、灯台が見せる表情が変わる。

一方で、周囲の景色に影響を受けながらも、建造物としては強固に大地に屹立し、見に行くものの期待を裏切ることがまずない安心感がある。

灯台は、非日常の世界に建っていると思う。灯台守が居た時代は、灯台守にとって灯台は日常の存在であったはずだが、ラバーズという趣味人の立場で、日中は白亜の(あるいは縞模様の)姿を見、夜になると光る姿を見るだけで、自分が日常の世界から離れたところに来ていることを簡単に自覚することができる。灯台がある場所に来て、しばらくの時間を過ごすことに価値があると思う。

日常から少し距離を置いて、何かを考える時間が少なからずある、そこに建っているのが灯台なのだろう。風雨風雪に耐え、船を守るという使命を持ちながら、自己主張せず、静かにそびえたち、夜は静かに点灯する姿に何かを感じない人はいないだろう。人間はせわしない日常の中だけに、延々と留まっていることには苦痛を感じる。そんな時に、無意識に灯台好きは灯台を見に行くのだろうな。などど、まとまりのつかないことを考えながら、16:15発の鳥羽行きの船を待った。

機会があれば、また是非今回訪れた灯台に会いに、さらに、ラバーズの面々にも会うためにツアーに参加したいと思う。 本年(2018年)志摩であるという灯台サミットも、今から楽しみである。 最後に、このような、拙文を書く機会を与えてくださった山口リーダーと燈光の関係者の方に心よりお礼を申し上げます。


written by  ライトハウスラバーズ 北川 祥賢


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