第19回 台湾の灯台巡り
    2012年10月18日(木)〜21(日)


10月18日
早朝五時 まだ明けやらぬ羽田空港。
近くのホテルに宿泊した人、自宅からマイカーで乗り込んだ人、タクシーで乗り付けた人など、三々五々集合。同行メンバーは、それぞれ一緒に旅行したことのある気心知れた人達だ。「清く正しく美しい二十四のヒトミによる楽しい台湾の灯台巡りの旅」の始まりである。


パスポート事件

、、、と、ここでいきなりの大ハプニング。
灯台巡りの名誉会長玉宮サンが、パスポートを忘れた事が発覚。なんと言う事だ。
昨日泊まったホテルに忘れていないの?荷物の間に挟まってないの?ポケットは?
ない!ない!ない!のだ。ご本人も自宅のあそこに置いたという確信があるらしいのだ。すぐに横浜の自宅に戻ったとしても、七時すぎの出発には間に合わない。
午後に便があるのだが、すでに満杯なのだそうだ。
フロアーの係の人は、「寝坊して送れた訳ではないので、、、正当な(?)理由で乗り遅れるのだから、できるだけの努力はします。」と言ってくれた。
その言葉を信じて、夕方に台北で合流できる事に期待して、玉宮さんを一人置いてきぼりにしての出発であった。パスポートを忘れる話はたまに聞くけど、ここでまさかの玉宮さん。あなたのハプニングを実は期待していたのだが、こんなに早くやってくれるとは・・・。



台北松山空港

到着。台風一過のなごりか、少し蒸し暑い。日差しが眩しい。到着ロビーで大勢の人がパネルを胸の前に掲げて待ち構えている。その中に、なんだか身になじんだアルファベットが目にとまった。「Mr.NAKANO NOBORU御一行様」とある。
ヘエー、わが夫と同姓同名の人がいるのかナッ?山口さんが代表だと思っているので、そう疑ってはみたのだが、どうやら我々のことのようだ。晴れがましくも名前が書かれたパネルを、夫は後でおみやげに貰ったのである。いよいよ、マイクロバスに乗り込み、先ずはホテルへ。ここで、玉宮さんからの長文メールで、「力を尽くしたが、やはり次の便には乗る事ができず今回はあきらめます。」との事。美しい二十四のヒトミは二十二のヒトミに変更になってしまったが、ライトハウスラバーズ11人の旅の開始だ。
もうこれ以上のハプニングは起こりませんようにと祈りつつ。



宮迫さん

ここで四日間ガイドをしてくれた宮迫さんのことを記しておこう。最初「私の名前は、宮迫デス。そう呼んでください。」なになに?確かに日本の漫才師の宮迫に似ている。
が、少し老けているし太めだなあ。「日本からのお客さんによく似ていると言われるのよ。写真をみてびっくりしましたよ。ホントの名前だれも覚えてくれないです。だから宮迫デス。」ギャグのポーズもお手の物。かくしてそれから「みやさこサーン」「みやさこサーン」と呼ぶ事になったのでなったのである。




この宮迫さん。「日本から灯台を見に来るお客さんがいるけど、だれかガイドする人は?」と会社から言われた時、だれも手を挙げなかったそうだ。しかたなく残った彼が「お前やれ。」と命令されて引き受けた。とはいえ「灯台の知識はない。何をガイドするの?一週間徹夜したね。ほら目のした隈。下見も行ったね。50ccバイクで。おかげで日に焼けて、ほら真っ黒。」なるほど。手には勉強の証のファイルをペラペラめくってみせる。
宮迫さん、今の君には灯台はマイナーだろうが、そのうちきっとエクストラになるにちがいないよとほくそ笑む日本からの客達であったのである。この私自身も最初の入り口は、夫についてアメリカの灯台を巡る旅に参加したのが始まりであった。。まず、そのロケーション。そこまでにたどり着く幾多の困難を克服する達成感。そらに向かってスックとたつ姿そのもの。そしてこの仲間達がいてこその灯台。どんどん深みにはまり、今ではテレビや映画、雑誌でも灯台があれば反応してしまう有様なのである。



台湾墓地事情

上海料理の点心の昼食。そして一路、大湾最北端の灯台をめざす。高速道路を走行中、小高い丘に素敵な日当たり良好的住宅がたくさん並んでいる。何気に眺めていたのだが、一般の家とは少し違うと気づく。あれは墓地なのだ。こんなお墓なら生きてるうちに住んでも良いかなと思えるようなバルコニーもある。お金持ちの墓地にテレサテンのお墓があるからいくかと、宮迫さんが聞く。というわけで、灯台より先にお墓見学に行く事になってしまった。そこは山全体がお墓。といっても屋根付きの広いバルコニーの中に先祖が祀ってあるもので、様式も様々。中華風模様やヨーロッパ風なものまで整然と並んでいる。その中でも、テレサテンのは特別な位置を占めている。鍵盤を模したモニュメントを花をたむけられた墓標、唄も流れてくる。
台湾の墓文化に多いに驚いたのであった。





富貴角燈塔
台湾最北端にたつ。灯台までは公園の遊歩道になっていて、太平洋と東シナ海からの荒波が力強く押寄せる。15分も歩いたか。コンクリート製。八角形。白黒模様。高さはあまりないけど、真っ白の塀で囲まれていて、しっかりとした印象。

何かの撮影隊のスタッフと抜きつ抜かれつ同行。この灯台をバックにどんなドラマ?
日本なら船越英一郎かとミーハーしおたのであった。





淡水港燈塔
鉄塔の上に灯台の頭だけ乗っかてる形状。高さ35メートル。富貴角を少し南下し淡水港の入り口に位置する。防波堤では地元の人たちが釣りを楽しんでいる。
こんな所にマイクロバスで乗り込み、波に押寄せられたゴミを物ともせず真下へ向かう我々をみて、何があったんだという顔つきである。

その後、淡水港河口をブラブラ散歩。
夕日が美しい場所として有名で若い人たちであふれている。「台湾原住民山猪内秀」と書かれた店の品物で、卵を何十日もしょうゆ漬けにしたような食べ物を宮迫ガイドは食べさせたがって、おごってもらったのだが、自前で買う人はいなかったのである。彼にとってはとても懐かしいものだったらしいのだが。
ところで買い物大好きの岡本さんは、もう何かみつけたのかな?



台北市へ戻りホテルへ。まゆうちゃんのご主人真ちゃんとは、香港からの出張帰りでここで合流。夕食は台湾料理のコース。美味しく楽しく、ビール、紹興酒も進み、長い一日は終わったのである。



11月19日

今日は西方目指して出発。



バイク

市内の道路は広く車は走りやすい、と思いきやとんでもない。バイクの数の多さである。想像を超えるとはこのことだ。信号が青に変わると何十台ものバイク軍団がいっせいに走り出す。それが車の横を、前をすれすれに走るのである。よくぞ事故にならないものだと感心していたが、やはり事故は多く問題になっているそうだ。台北、台中など都会の高価な住宅事情が生んだ現象だそうだ。駐輪ならぬ駐バイクは、そこここに設置されていて整然とならんでいるのはすばらしいのだが。



白沙燈塔

台湾北西部に位置する。田園や工業地帯や何百機もの風力発電の風車が立ち並ぶ海岸線を走り抜け、よやく到着。白い円形型で親近感がある。たかさ25メートル。
日本政府が建てたものなのだ。以前、スコットランドの灯台を巡ったときに、いくつも出会った形にそっくりだ。それもそのはず、日本の灯台はスコットランドにルーツをもつのである。「今回台湾の灯台は、中に入る事ができそうにありません。何回メールで問い合わせても全く返事がないので。」と、山口さんから言われていたので、みなさん、そのつもりでいた。とこどが、、、
門は門はしっかり閉じてあるのだが、中で犬の鳴き声がしたとかで、山口さんは、果敢にもインターホンを押したのである。ガイドさんの通訳で交渉の結果、中に入れて灯台にも登る事が出来たのである。敷地はきれいに整えられ、ペンキも真っ白に塗られ、メンテナンスも行き届いている。

空はどこまでも青く、そのコントラストの美しい事。アドレナリンも出ようと言うもの。皆少しハイな様子だ。
それをみて、ここの灯台守の人たちも結構うれしかったに違いない。




昼食も宴会
客家(はっか)と呼ばれる人々が多く住む地域で、客家料理の食堂で昼食。
今回の旅行は運転手付きバス移動なので、誰かが怪我するという事もなくアルコールが堂々と飲める。しかも全員いける口なのだ。一つの円卓を全員が囲み気分も盛り上がるというものだ。






台中港燈塔
六角柱。紅白の横縞模様。





青空のもと美しいのだが、人影もなく、あまり情報もないので、さらりと見学。


芳苑燈塔

牡蠣や蟹などの海産物の盛んな場所にある。八角形の白黒ストライプ。なんか枠ないでたちである。36メートルののっぽさんだ。青空に映えてオシャレ。




白沙燈塔から電話をして話が通してあり、中にいれてもらえた。あの時の山口さんの無謀な(?)行動力が功を奏したのだ。一番上の部分は風がビュービュー吹くし、なにせ高くてとてもこわい。しかし、見下ろす景色は開放感いっぱいだ。螺旋階段の上り下りもきつくて怖かった。




さてここで、野生的顔立ち、笑顔の爽やかな若者登場。

半年前に灯台守になったばかりだそうだ。二言三言言葉を交わしたのだが、愛ちゃんが、この出会いにどうやらビビッときたらしい。引き上げようとしたきびすを返し、とても熱心に電話番号やアドレスの交換をしている。なにやらやがて別れを惜しみながらバスに乗り込んだ後、彼女はこの遠距離恋愛を夢見るのであった。



10月20日
 晴天。
東北部、北海岸を目指して長距離ドライブだ。


鳩小屋

普通の家屋ビルの上に小屋が建ててある。結構立派なのや、しゃれた色使いのものや、気にして見ているとたくさんある。聞けば、こちらは鳩レースがさかんで、その鳩小屋だそうだ。もちろん賭けレースである。
人が住めそうなものもある。いらないじいちゃんが住んでるかもね。



基隆燈塔

基隆港到着。大きな港だ。大型の外国航路船も停泊している。この港を見下ろす岬のうえに立つのが基隆燈塔だ。急な坂道を登らなくてははらない。きつい坂だ。
丘の上は公園になっていて、アヘン戦争の時に作られた砲台跡があった。海の眺めもきれいだ。だけど灯台は見当たらない。もっと岬の先にあるらしい。気も茂っているし、さらに登り坂だ。元気な中野(政)くんが探検の結果、一旦下りて別の道を登る方が近いと携帯電話に報告あり。中野(政)くんを探しに行った伊藤さん、晶江ちゃんも、ミイラ取りがミイラになることなく無事もどってきた。報告どおりに行くと、なんだ、こんなに簡単だったのだ。白い円形。ちいさくて可愛い。海面から40メートルの場所にあるので低くても良いのだ。太陽と風が疲れた体に心地よい。

ここには灯台守さんがいて、灯台同士の連絡があったらしく、歓迎してくれた。
そして帰り際、私たちのバスをわざわざバイクで追いかけて来て、灯台の写真集をプレゼントしてくれたのである。この本は全台湾灯台が載っていて、各灯台に一冊しか配布されていないものなのだ。もちろん市販はされていない限定物だ。なんて親切。感謝である。





三紹角燈塔

例によって円卓の宴会の昼食を美味しく頂いたあと、海岸線をドライブ。この海岸線は風光明媚な観光スポットがあくさんあって観光客も大勢押しかけているようだ。
灯台にも人がいっぱいだ。この灯台はかつて日本政府が建てたもの。白色。円形。おなじみの形である。周りは結婚式が出来るようなドームやハート型モニュメント等々。
宮迫さん曰く「まるで外国にきたみたいでしょ?」「私たち、外国にきているんですけど。」と突っ込んだのはもちろんだ。





中に入れてもらえないかと交渉をしたところ、私たちだけに許可すると他の人たちもいえなければならなくなるからと却下であった。


鼻頭角燈塔

車を降りてから目的の灯台までトレッキングのコースになっている。絶壁の道だ。
遥か下をのぞくと岩に押し寄せる波が白く砕ける。上を見上げると今にもおちえきそうな岩が飛び出ている。注意の立て札も数々。二、三十分も歩いたか、岬の先端に到着。程よい達成感だ。海面から99メートル。白色。円形。どっちを向いても絵になる景色である。

夕日が生みに光っている。山の先端の岩に龍の頭と、少し離れた所にしっぽがが見える。これは自然の雨風が創った彫刻なのだ。そうは思えぬリアルさである。




檳榔(ビンロウ)
最初に発見したのは大石さんである。
「さっきから檳榔てよくあるけど、あれはなんですか?」なるほど気をつけて見ているとある。道路脇のちいさな店の看板だ。「あれは小さなくだもので、トラックの運転手が眠気覚ましに買います。ガムのようでもあり、食べると口の中が、真っ赤になるよ。」と宮迫さん。店先には青梅大の果実がビニール袋に入れられ、100グラムくらいだろうか、置かれている。
大石さん「かってみてもいいけど、口が真っ赤になるんじゃねえ、、、」と、興味はあれど心は揺れてそう。それにしてもこの看板、多すぎる。道路脇に次々架かっている。」
ここで、真ちゃんが今や最新アイテム、スマホで検索、発見、発表したのだ。「あれはどうも、くだものを買うという名目で、裏で違うものを買うみたいですよ。」運転手が眠気覚ましだけに買うには、多すぎるはずだ。と、ここらまでの階段では何か違法な薬かと、ぼんやり考えていたのだけど、このおばちゃんにも段々解って来た。男の人が買うものが他にもあるという事が。唖然。大石さん、買わなくてよかったですね。



10月21日

日曜日なので、あのバイク軍団が幾分か少なく、街も静かだ。
最終日の今日は市内を観光しえ廻る。10月10日が国慶節で、そして10月中は色々な記念日があるので、街中あちこちに大湾旗が飾られている。
かつて日本政府が植えた街路樹が良い雰囲気をかもしている。
寺院。昔は迎賓館だった円山大飯店。
総統府。中世記念堂。いつも行列のかき氷屋さんと、上海小吃の鼎泰豊(ていたいほう)。世界第三番目に高いビルtaipei101などの見学を終えて空港へ。
宮迫さん、たまにはでたらめな(?)ガイドもあったけど、慣れない灯台ガイドをありがとう。
客家出身の運転手さん、バイクもうまくよけながら長距離運転をありがとう。
お二人さん、灯台好きになりましたか?


written by  中野 早苗


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