第18回 能登の灯台巡り
    2011年11月5日(土)〜7(月)


1) いざ、遠い能登の灯台へ!
 関東人にとって、能登の外海は遠い。陸路を取れば、朝に東京を出てそこに着くのは夕方になってしまう。能登の鉄道の先端部が廃線になってからは、まばらな路線バスを利用しての灯台巡りはとても不便だ。1日に1灯台がやっと。
 岬と灯台を愛して全国を巡ってきた、車運転ができない年寄りの私にとって、能登は数少ない未達地の一つであった。船旅では3回も能登の海岸線とその上に立つ灯台を望遠して、一度訪ねたいと熱望してきた。
 そんな訳で今回のライトハウス・ラバーズのドライブ・ツアーに、代表世話人の山口義昭さんからお誘いを受けて、一も二もなく乗せて頂いた。

2)ツアー
■仲間たち  
 今回の参加者は総勢23名
 11月5日正午に金沢駅改札口に21名が予定通りに集合。早朝に東京駅に集まって最速の鉄路でやってきた16名と現地集合の4名。
 これに南秀実さんが旅先導役として加わってくださる。南さんは、九管・七尾保安部を退かれた海上保安庁のOBで、現在石川県に在住し地域活動を展開し、能登を熟知しておられる。最初の短い挨拶に率直・簡明的確なお人柄がうかがわれ、この旅は成功と一同の期待が膨らむ。
 海保OBとしては、他に旧知の堀さんと玉宮さんが参加していて、今回も灯台見学を充実させる便宜斡旋の労をとってくださる。
 南さんと京都から参加の中野さん夫妻がマイカーを提供してくださり、駅前で3台をレントして計5台に21名が日替わりで分乗した。運転できない私は後部座席に有難く収まり安全を祈願する。
 この他の2名の参加者は、車も宿も本隊とは別だが付かず離れずに行動し、適宜の機会に現れて合流する若いカップルだ。

■行程  
 1日目は金沢市から能登半島西岸を北上し、志賀町の能登ロイヤルパークホテルに宿泊。2日目は北岸を東行し、半島先端を回って珠洲市の珠洲ビーチホテルに泊まる。最終日には東岸を南下し、七尾湾を迂回して急ぎ、金沢駅に滑り込み予定の列車に間に合った。総ドライブ距離420km。
 今回のドライブ・ツアーは、現地を知った南さんの周到なルート選定によって迷うことなく、車列を維持してそれぞれの目的地に到達できた。しかし彼の分単位の精緻な時刻表は,参加者の予期しない行動によって一再ならず破られた。それでも灯台見学の門限、宿への到着、列車時刻などの重要時間に大きな狂いはなく間に合い全旅程を守れたのは、彼の適切な調整にドライバーを中心に全員が協力したからだ。

■交流・交歓  
 このライトハウス・ラバーズは、灯台愛好者が代表の山口さんと少数のスタッフからなる世話人の周りに、催し事毎に集まる緩やかな集団である。メンバーは灯台好きという方向は同じだが、性別・年齢、経歴、関心事などの点では様々だ。どういうわけか、灯台愛好者は、癖はあってもどこか筋目正しくて、万事が大らかに、笑いと共に和やかに順当に進む。今回の旅もそうであった。
 旅の間の色々な交流を通じて、新しい知識や観点を学ぶ。海保OBは勿論だが、一般会員の中にもすごい知識源がいる。その一人、若い不動まゆうさんは旅の始めに「能登半島 旅のしおり」を全員に配ってくれた。訪ねる灯台について独自に収集したデータが提供されている。私も調べてきたが、これには及ばず脱帽だ。
 この他に、南さんを囲んで灯台の光源の変遷、ペーパークラフトなどの灯台模型、北前船など話題に歓談の輪ができ、得るところ大であった。

3)能登の灯台たち
 今回訪ねたのは、下に示す図表の8灯台である。

      図 訪問した灯台の位置  番号は訪問順

表 訪問した灯台の特性
NO 灯台名 光到達
距離(海里)
灯高
(m)
塔高
(m)
光度
(千カンデラ)
光源(灯器) 初点年
1 大野 16.5 34.3 26.4 140 MH(LBH120) 1934
2 福浦 15.5 28.0 15.2 250 MH(LB-M30) 1903
3 猿山岬 20.5 218.9 17.2 140 MH(LB-M30) 1920
4 竜ヶ埼 21 65.8 10.9 200 MH(LB-M30) 1965
5 禄剛埼 18 48.0 12.0 55 MH(フレネルレンズ) 1883
6 小木港犬山 16 31.8 13.6 160 MH(LB-M30) 1950
7 宇出津 12 38 10 56 MH(LC-II) 1963
8 鵜川導流堤 5 11 0.078 LED(III) 1961
                                            MH:メタルハライト ゙

@  大野灯台

 金沢駅から市北側の大野川河口港西の立つ白い四角塔に直行する。待機していた海保職員から、光源と灯器を含む展示資料による説明と200段近い階段の上の灯器室へ案内頂く。点灯中の120cm径の灯器を近くで見、30mの塔上から灯が照らす港内外を眺めるのは、灯台の機能を実感する良い機会であった。
 明治初期に大野郷の船主たちが立てた灯竿に発し、昭和初期に大野町の灯台に引き継がれ、戦後に海保に統合され、改築されて現在の形になった長い歴史を持つ。
 「日本の灯台50選」に選ばれたが、金沢港の発展に伴って海側の埋め立てが進み、醤油工場の敷地に囲まれた低地に、外海から離れて立つのを見ると気の毒に思え、「頑張って!」と声援を送って去る。

A-1 福浦灯台(旧)

 金沢市から一直線に砂浜と砂丘が続く海岸線に沿って能登有料道路を北上する。その途中に道の右の丘の上に小さな白尾灯台(七尾町)が神社と並んで建っているのを車中から眺める。千里浜なぎさドライブウエイで浜辺の走行を楽しんだ後、海から離れた車は、志賀原発からの高い送電鉄塔が立つ丘を縫って走り福浦の集落に着く。福浦は17世紀から、日本海航路の主要な湊であった。今は昔の面影を残しつつひっそりとしている。
 降り始めた小雨の下、駐車場所から笹薮脇の小道を辿ると旧福浦灯台が出迎えてくれる。高さ5mで3階建ての最上階の海側3面に灯り窓が付いている。この場所には古くからの灯明台の歴史があるが、この建物は明治9年に建造されたものを、改修を経て、昭和27年まで灯台として実用されてきた。石川県指定史跡として地元が補修・維持している。「現存する、日本最古の木造灯台」と自称しているが、他の数箇所から異論が出ているとのことである。志賀町教育委員会の大畑さんから説明を頂く。ここでは、地元の新聞の記者のインタービューを受ける。我々の訪問は、翌6日の「北国新聞」(本社:金沢市)の社会面に写真付きの記事で紹介された。「船でなく人を呼ぶ灯台の魅力、地元住民には灯台下暗し?」とのコメント付きで。

A-2 福浦灯台(新)
 暗くなりかける中を、民家の敷地を横切り藪道を通って岡の縁に立つ新灯台に急ぐ。南さんが鎌を持って先頭に立つ。新灯台は、戦後間もなく旧灯台を受け継ぎ、1984年に立て替えられたもの。白色円筒型のまとまった形をしている。陸側の草地の隅に、遊女と船乗りの伝説のある腰巻地蔵が佇んでいる。

B  猿山岬灯台

 翌6日、雨の中を一路北上し赤神、黒島、門前を経て外浦海岸の皆月に出る。車道の終点,「娑婆捨峠」下の駐車場で車を降り、崖の上のよく整備された遊歩道を灯台まで約15分歩く。視界が悪く岬も海も見えない。かって灯台住人の水源であったと思われる沢を、コンクリート橋で渡り左折すると階段の上に白い円筒型の灯台が聳えている。沖から見て憧れてきた、あの灯台だ!
 背後の大きな山の肩に張り出した丘が岬を形作り、その上に灯台が座っている。今回は柵の外からの見学だ。外観としては、大きな灯篭と張り出し(こぶ)のある回廊が特徴である。

 90年前の建設時には資材は、海から200mの崖沿いに人力で引き上げられたという。当時の唯一の航海標識としての重大な役割が偲ばれる。
 この灯台は、2007年に起きた能登半島地震で被害を受けた。特にフレネル・レンズは修理不能な損傷を受け外されて、いま「道の駅 赤神」に展示されている。我々は、ここに来る途中にそこに寄って挨拶をしてきた。

C 竜ヶ埼灯台

 輪島市街の北西にあり、港を包む小高い天神山の上に回廊付きの白い小ぶりな円筒型の灯台が立っている。今回確認できた古い方角石が示すように、ここは北前船当時の日和見山であった。崖下の日本海の岸は岩場や岩礁が連なる海の難所で、それらを警告するための下向きの投光器が塔の中間にある窓に設けられている。その名を「竜ヶ埼大大蛇照射灯」という。
 すぐ下の駐車場に戻り、この日のハードスケジュールをこなすべく、市街には見向きもしないで一路東へ急ぐ。

D 禄剛埼灯台

 途中、トンネルが抜ける小山の上にある能登鞍埼灯台を直下の旧道に歩み入って下から望遠する。その他は、白米の千枚田と揚浜式製塩所などに立ち寄るにとどめ禄剛崎への道をひた走り、予定に遅れて「道の駅 狼煙」に到着。地元観光関係者の歓迎を受けた後に、岬へのやや急な遊歩道を10分ほど登ると、目前に公園風の広い草地が開け、その先に灯台が見える。
 我々の訪問に応じて、海保職員の方々が灯台を開けて、昼間は一般訪問者に公開し、我々の到着を待っていて、塔内に案内してくださった。建物の内外はよく整備されている。
 この灯台の建築構造は、海側の半円形の1階石造建屋に、これより小さな径の円筒の石造塔が同心で立ち上がり、その上に大きなガラス窓を付けた鉄製の灯篭が乗るというもので、明治初期にリチャード・ブラントンが小高い崖上の建てた多数の灯台の典型的な形に属する。事実、この灯台は、ブラントンの設計を、彼の離日後に日本人だけで建設したものだという。これを記念して塔には、菊のご紋章が付いた初点灯プレートが掲げられ、回廊支持板には菊模様の透かし彫りが施されている。ここでも建設資材は直下の海から吊り上げられた。
 灯篭内で間近に見る、高さ2m余の第2等不動フレネル式レンズは素晴らしい! 光源、システム自動化などの技術革新は取り入れられたがレンズは、初点灯後130年近くも経つ今も現役で働いている。この灯台は、「日本の灯台50選」の一つであると共に、平成20年に経済産業省から「近代化産業遺産群(続)」の一経済功労者として認定された。
 禄剛埼灯台の現在価値を高めているのは、きれいに整備されている周囲の自然環境である。この日も案内に参加されていた、狼煙在住の「名誉灯台長」のXXさんを中心とした地元のボランティア活動のお陰であるとのこと。思わず感謝の手を合わせる。厚い雲で覆われた空が暗くなり、灯台が自動点灯し、次第に照度を高めていく。ここにきて本当によかった!



E 小木港犬山灯台
F 宇出津灯台

 珠洲・蛸島の宿を出、半島東岸の恋路海岸・軍艦島に寄ってから、富山湾北岸の漁港近くの小丘上に立つ2灯台を歴訪する。両灯台共に民家が近くに迫っている。
 犬山灯台は、戦後に村営のものが海保に統合になり、その後1950年に立て替えられ現在に至っている。円筒状、回廊付きの塔に灯器が収められている。
 宇出津灯台は、昭和40年前後に建てられた、この級の多くの灯台の類型の外観を持ち、搭上に防水型の灯器が設置されている。ここでは、その上に、鳥の巣作り防止の針金細工が乗っていた。
 
G 鵜川港導流堤灯台
 漁具が積まれた堤防の先端に二重円錐形をして立っている。最近にLED光源に変換された。

■思い出草に
タイトなスケジュールにまつわる旅のハプニング:
◇「あれ!人数が足りない?」の巻
 第1日目、千里浜なぎさドライブウェイを走って小休止、それぞれに浜辺の風景を楽しむ。さて出発!皆、車に乗り組む、ところが4人足りない、浜のどこにもいない。どこだ?どこだ?...いた!浜のビニール囲いの磯料理の小屋にTさんたちが、今焼きあがった蛤に食らい付こうとしているではないか。しまった、俺も、ああすれば...。


◇「何が始まるんだ?」の巻  
 最終日、ホテルを出て間もなく車列が止まり、数人が道の向こうの廃屋に駆け寄る。「蛸島駅」と書いてある。七尾線の廃線になった先端部路線の終点駅舎だ。合流する者がどんどん増える。すると列車マニアで名高い北川さんが線路沿いに走り出す、その300m先の土手の上にディーゼル車の錆びた廃車が1輌置き去りになっている。車首には「ワンマン」「蛸島」と表示されたままだ。線路まで駆け上がって写真を撮る人もいる。こうして予定外の半時間以上が過ぎた。

◇「ああ、しんど」の巻  
 帰りの予約列車に遅れたら大変なことになる。山口さんの形相が変わる。急げ! 手配してあるレストランに駆け込む21人。カツレツ定食を掻きこむ。早食いで鍛えた豪の者は平然と平らげ、デザートと仕上げのコーヒーを済ませて悠々。一方、ご飯はよく噛んでゆっくりと派は、よく噛まずに飲み込んで胸の辺りを叩く始末。それでも全員が10分余で済ませて車に戻る。特に異常なし。

■未来の灯台を考えてみませんか?
 ある灯台を訪れると、その現況は、これまでにそこに起こった事象の歴史的累積の結果であることがわかる。前の設備を活かして、技術革新を追加して更新してきたのが現在の姿だ。現状を受け入れるだけだ。
 それだけではなく、灯台愛好者が各々、自分なら現技術を用いて灯台をこう建て直すという新設計を描く方向に思考してみたらどうだろうか?識別しやすい光を遠くに送り、自然に融けあって美しく、安く建設でき、保守しやすい仕様は何か?
 こういう観点で見たときに、世界で一番進んだ灯台はどこでしょうか?   〔終〕
                         

written by Y. Oishi


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