第17回 北海道・道東の灯台巡り
    2010年5月8日(土)〜10(月)


Light House Lovers 北海道、道東の灯台たちを訪ねる旅

■ノッカマップ灯台
ノッカマップ灯台

 そこは、足首をつついてくる乾いた色の草が生い茂り、灰色の空が視界のほとんどを占めるノッパラ。そこに切ないほどの強い存在感で、白地に黒の縞をいれたノッカマップ灯台がいた。もし、ここに灯台がいなかったら、空か土に吸い込まれてしまいそうで、私はしがみつくような視線で彼をみている。
 タイルがところどころ剥がれて地面に落ちている。拾うと、小さな四角いタイルが数個、石膏でつながっていて、でもそれも手の上でホロっとくずれた。灯室が見たいので、距離をとる。不動レンズ。300oぐらいかな…よかった、投光器じゃなくてレンズみたいだ。

 このツアーに参加している他の人たちは、あまり好きなタイプの灯台じゃないかもしれない。みんな、灯台からすこし離れた場所で記念撮影をしているようで、楽しそうな声が遠くに聞こえる。
 私は、この灯台のことを好きになった。親しみやすさがなくて、野生の動物みたい。今回の旅で出会った、5本目の灯台。


   
左:能取岬灯台 右:宇登呂灯台

 私たちLight House Loversは、昨日の朝10時ごろ女満別空港に到着した。今回の参加者は全部で19人。空港には写真家の山崎 猛さんが待っていてくださった。この方は、「日本の灯台」という、私はずっと前から欲しくてたまらない写真集を撮られた方で、今回は道東の灯台を案内してくださる。なんて贅沢なことでしょう。私たちは4台の車に別れて乗り、さっそく能取岬灯台、宇登呂灯台に行った。能取岬灯台は裾広がりの八角形で、とても座りがよい姿をしていた。これぞ北海道の灯台というような威風堂々とした貫録を感じる。宇登呂灯台は断崖に立ち、その風景の美しさを完成させるためのように、必然的に存在していた。だけど私の愛するフレネルレンズはもうなかった。大きな灯室に小さな投光器。灯台に感じるロマン、そして絵画的な美しさに対し、機能のみを備えた投光器は落差が大きいのだと思う。レンズのない灯台は、目玉をくりぬかれてしまったようで、とても悲しい。


左:花咲灯台 右;花咲灯台レンズ

 今日は朝から花咲灯台と納沙布岬灯台を見てきた。花咲灯台は赤い帯を誇らしげに巻き、北海道の大地に悠然と存在していて力強かった。納沙布岬灯台は、周辺の環境が北方領土への関心が強すぎて、なんだか落ち着いて灯台と対峙できなかった。近くに「平和の塔」という、灯台よりだいぶ大きな眺望塔が威圧感を与えていた。

 
左:納沙布岬灯台で集合写真 右:納沙布岬灯台レンズ

 この二つの灯台は、海上保安庁のご協力をいただき、灯室まで登らせていただいた。どちらの灯台も不動レンズで、赤い分弧が岩礁を照らす。花咲灯台で、「この電球はメタルハライドなので、明暗が短時間でできず、そのため周りのフィルターがまわり、明暗をさせている。」と説明を聞いた。不動レンズといっても明暗のさせ方がいろいろあると知り、ますますレンズの魅力を感じる。間近で観察できてとてもうれしかった。

 そんな昨日から訪れた5つの灯台を思い出しながら目の前のノッカマップ灯台を眺める。この灯台は孤立している。私すら、こうしてここにいることを拒絶されているような気がする。そんなところに惹かれた。しばらくノッパラに腰をおろし、彼を見上げていた。たまに重たい雲の切れ間から日が差すと、ぐっと立体的に近づいてみえて、少しだけ、私の存在を許してくれたみたいだった。

 時間がきた。もっと眺めていたかったけど、車に戻る。
 
 「まゆうちゃんは、いまの場所、何か感じなかった?さっき聞いたんだけど、霊感の強い人はなにかを感じる場所らしいよ。」
 私にはそういうシックスセンスはまったくないけれど、なんだか寂しい空気を感じていた。そういえばここに来る前、納沙布岬の灯台で、急にデジカメの調子がおかしくなった。シャッターは下りるのに、プレビューができなくてちゃんと写っているのか確認ができない。こういうのってテレビでよく言う霊現象だったりして・・。そんなことを半信半疑でひとり思っていた。
 それはさておいても、ノッカマップの土地についてなんだか気になって、携帯で調べてみる。

 ノッカマップ 土地 歴史.....検索。

 すると、「クナシリ・メナシの戦い」という聞きなれない言葉がでてきた。
 昔、倭人が北海道を侵略しに来て、アイヌの人たちを捕らえた。過酷な労働をさせられたアイヌの人たちは納沙布岬で反逆を起こし、71人の倭人を殺した。倭人はその首謀者たちを捕らえ、ノッカマップで処刑した。納沙布岬には、倭人のための慰霊碑があったらしい。私は灯台しかみていなくて気づかなかったけれど、そこには『寛政元年五月に、この地の非常に悪いアイヌが集まって、突然に侍や漁民を殺した。殺された人数は合計七十一人で、その名前を書いた記録は 役所にある。あわせて供養し、石を建てる。』という記載があったらしい。対してノッカマップには、灯台以外になにもなかった。空と地面と灯台と、なんだか感じる寂しさ。それだけ。アイヌの人たちは、いまでもひっそりとノッカマップで慰霊祭をやっているらしい。
 反逆を起こさなくてはならないほどの労働や虐待、自分たちの故郷を荒らされ、追われる悔しい思いを私は想像した。
 人間の強い想いが土地に残ることはあると思う。そういうものが恐いとは思わない。だけど、何も知らずにのんきに灯台だけを見に来た自分が少し申し訳なかった。一緒に来た人たちにもこのことを話したかったけど、なんだか楽しい旅の雰囲気とはちょっと違う気がしたし、私もいま携帯で調べただけの知識しかないので言えなかった。

 灯台の建っている所は、いろんな歴史をもっている場所が多い。私は灯台が好きで、草を掻き分けて灯台を目指し、灯台に出会うとうれしくなって声をあげてはしゃぎ、抱きつき、写真を撮ってきた。だけどこれからは灯台の建っている場所のことも調べておこう。なにもできないけれど、気持ちだけも、土足で踏み荒らすような態度はとりたくない。そんな風に思った。

■夜の灯台ツアー
 今回のツアーで一番素敵だったことは、昼に鑑賞した灯台を、ふたたび夜、訪ねることができたことだ。
 灯台は、昼は眠っていて、夜、目覚める。昼間、灯台に会ってレンズをみて、灯台表で灯質を調べると、どうしても夜、その光を見たくなる。だけど旅行先で灯台を一つでも多く見ようとすると、日暮れまで待つことはできないし、夜は危ない場所も多い。そうした事を理由に、去年のツアーも、夜は宴会にいそしみ、すっかりデキあがってしまっていて灯台鑑賞どころではなかった。
 ところが!今年は山崎さんの強力なリーダーシップにより夜の灯台ツアーが強行されることになった。なんて素晴らしいのだろう。夕食のあと、ロビーに集合。そう聞いて私は飛び跳ねて喜んでいたが、ドライバーを務めてくれている方々にはちょっと可哀想なことだった。
 折しもこの日のホテルの夕食は、新鮮なお刺身やお肉料理、北海道のチーズなど、土地のものがすごく美味しくて、言ったら怒られそうだけど、こんな小さなホテルにしては、想像をはるかに超えるクオリティだった。
 なんでこんな日に・・。ドライバーを任された人はかわいそうに、お酒を1滴も飲まずに、美食をもくもくと口に運んでいた。
 「まゆうちゃんは運転しないんだから、飲んでいいよ。」そんな優しい言葉に、一度は申し訳なさで断ったけど、いやいや、せめて代わりに飲んでよ。と、そこまで言っていただくと断るのもなぁと感じ、恐る恐るお猪口を口にした。
 ふと見ると、じっとりとした羨ましそうな視線で背中に汗をかき、ちっとも酔いがまわらなかった。

 夜の灯台ツアーは今日まわったすべての灯台を再び巡ることになった。山崎さんは、写真を撮る際、同じ灯台に何度も何度も足を運ぶという。春、夏、秋、冬の四季だけではなく、朝、昼、夕方、夜と時間や天気によって表情を変える灯台。その灯台にとって一番の季節、時間、アングル、山崎さんにはそのデータが蓄積されているみたい。私たちが灯台をそれぞれの好きな場所から観賞していると、遠くから山崎さんの声がする。「おーぃ、この場所から眺めてごらんよ」って。それは灯台からちょっと離れた丘の上だったりするのだけど、そこからみる灯台がまたとっても素敵だった。そんな山崎さんが夜の灯台も見せてあげたいと言うのだ。平均年齢がやや高めのツアー(怒られるかも・・)なので体調に合わせられるように自由参加だったが、驚くことにほとんどの人が参加した。

 再び納沙布岬灯台を訪れた。等明暗白光、明3秒暗3秒。閃光ほどの迫力はないけど、岩礁を知らせる赤い光がすごくよかった。昼間ながめた姿とは違った灯台に満足した。
 そしてロシアとの国境となってしまった貝殻島の灯台。海の向こうから5秒に一度、はかなげに明暗していた。いつか貝殻島の建っている足元までいくことができたらいいのに。すべての灯台に息づくのは、国籍など問わず、人の無事、海の安全を祈る灯台守の想い。あの国境になってしまった貝殻島灯台にもその思いがまだ残っているとおもう。
 私は海の中にぽつんと建つ、岩礁の灯台や、灯標がとくに好き。なんの感情かわからないけど、消えてしまいそうな貝殻島からの光をみて、泣きそうになった。

 花咲灯台では、昼間の不動レンズが活躍中だった。周りのフィルターが回り、ちゃんと明暗しているように見えた。また、暗闇の空の中に8秒間に1閃光の光をみつけた。灯台表で調べてみる。たぶん落石岬の灯台だと思う。明日見学する予定の灯台なので、先に挨拶してもらえた感じがしてわくわくした。

 ノッカマップのノッパラは真っ暗だった。10秒に2閃光。真っ暗なノッパラに、オレンジがかったハロゲン色の光が広がって一瞬一瞬を繋いでいた。
 足元が危ないので近くまでは行かず道路から灯台を見ることになった。この場所からは、灯台の姿は暗闇に隠れ、光しか見えなかった。私は、意識をできるだけ灯台の近くまで飛ばして、暗闇のなか、白いタイルと黒いタイルの縞がオレンジ色の光で浮かびあがるのを想像してゾクゾクした。
夜空は星に包まれていた。

■最終日
 
左:落石岬灯台 右:落石岬灯台レンズ

 落石岬灯台は、灯台までの道のりが素晴らしかった。水芭蕉の群生する赤エゾ松の林を、木道がまっすぐに続く。この木道は海上保安庁の方が巡回保守のために作り、いまでは観光用として根室市が保存しているとのこと。木道は歩くたびに優しい鼓動が足に響いてくる。宮崎 駿の映画にでてきそうな妖精が木々の間にいても全然おかしくない感じ。水芭蕉の花が「ニョロニョロ」にも見えてきて、でもこれは宮崎アニメじゃなくてムーミンだったと自分のいい加減な感想を自制した。しばらくすすむと、急に視界が開けて広い草原に落石岬灯台が現れた。
 レンズは回転灯器だったけど、いろんな人に愛される要素がつまった灯台だと思った。


落石岬灯台霧信号

 今年の3月末をもって、日本中の霧信号が廃止された。今回見学した花咲灯台、納沙布岬灯台、そしてここ、落石岬灯台にも役目を終えた霧信号が静かに海を見つめていた。まもなく霧信号は撤去されてしまうだろうと誰かが言うのが聞こえた。
 灯台をその機能の価値だけで捉えると、いらないものは撤去したほうがいいかもしれない。もちろん、灯台は、その機能に一番の重要性がある。でも思う。機能だけを灯台の価値としていたら、もっと灯台に変わるものが進化し、きっと灯台はいつか無くなってしまう。それでもいいのかな。
 物事はすべて流転する。変わっていくことは抗えないことだけれど、灯台には、灯台守の海にいる人たちを無事に帰したいという想いがあって、海には、灯台の光に、霧信号の音に救われてありがたい。愛しい人のいる場所へおかげで帰れる、という想いがある。
 これから灯台をとりまくものは変わっていくかもしれないけれど、そんな想いはどうかなくなりませんように。

 最終日ともなると、みんな北海道の風景に慣れているのがおもしろい。初日のころは、エゾジカを見つけるたびに歓声をあげてカメラをむけていたのに、いまや、「あ、また鹿。車道に出てきそうであぶないなぁ。」と、若干迷惑に感じてみたり、何十キロも続くまっすぐな道は、まるで天国まで通ずる道!って感動していたけど、だんだん、まっすぐ過ぎて眠くなると愚痴をこぼす。私たち19人は、本当にストイックなほどに灯台だけを目指して道をひた走っていた。
 今回は山崎さんのガイドのおかげで、予定されていない防波堤の灯台なども紹介してくれて、多くの灯台に出会うことができた。それは飛行機の時間ぎりぎりまで続き、最後の昼食は、15分で食べてくださーい!なんて声がかかるほど。それでも誰も文句を言わず、美味しいカキのフルコースをあわててかきこみ、お茶で流す。本当に灯台が目的で集まり、北海道まで来て、本来の旅の目的になりやすい食事をあわてて食べている私たちが可笑しくて、なんだかとても一体感を感じた。
 このLight House Loversの旅は、乗り込む車や、食事の席などをくじ引きで決めることが多い。ご夫婦で参加されている人も、それぞれ違う車に乗ったり、食事の時の席も隣じゃなかったりする。それでもみんな灯台というキーワードで年齢や性別など差を越えて、旅を楽しむ。灯台の思い出や、知識を共有しあう。気づくと夢中になって話していて、人生の大先輩にむかってため口になってしまったりしている。それでもニコニコお話してくださる皆さまに感謝せずにいられなかった。


 カキのフルコースを流し込んだおかげで、飛行機に間に合う時間に空港に着いた。山崎さんにもっとお礼を伝えたかったけど、なんだかバタバタしてしまって、ちゃんと伝えられなかった。北海道の灯台、山崎さん、海上保安庁の方々への感謝の気持ちを抱えながら、帰りの飛行機に乗り込んだ。
 私は飛行機の窓から日本の端っこをみつけて、灯台を探すのが好き。帰りの飛行機も、CAの人にお願いして、窓際に変えてもらった。あいにく雲が多い日で、窓の外は真っ白になってしまった。



 東京は雨だとアナウンスで聞く。高度が下がり厚い雲を抜ける。私は窓におでこを押しつけて東京灯標を探す。大好きな東京灯標。昭和44年からずっと、東京湾を守ってきた灯台。光っていたころは、3閃光の強い光がかっこよくて大好きで、その光がみたくて、城南島海浜公園によなよな行ってみたり、汐留あたりの高層ホテルのバーにナケナシのお金をはらって飲みにいったっけ・・。私が灯台にハマルきっかけになったような灯台。羽田の滑走路増設を受け、もうすぐ壊されてしまう。この東京湾に東京灯標がない景色があたりまえになってしまうのかな。
 私は、全細胞のすみずみに東京灯標を記憶させようとした。今回の旅では、時代と共に変化していく風景を強くおもった。今回見た道東の灯台、そしてレンズ、霧信号。まぶたにもう一度映してみる。大丈夫、私のなかにはこれからもずっと残っていてくれる。どうぞ一緒に旅をした皆さんのなかにも残っていてくれますように。




written by 不動まゆう


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