トーダイジャーナル
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目次 アメリカ灯台 灯台旅行記 Lighthouse Keeper 灯台イベント Lighthouse Lovers 掲示板



第8回 灯台フォーラム

灯台フォーラムは灯台大好き、あるいは興味ある人々が灯台を文化的、歴史的、
そして美的観点から見つめ、語り合う会です。
講演者も毎年、さまざまな分野から素敵な方々にお越しいただいております。

東北、関東太平洋沖地震の被災者の皆様には、心よりご冥福とお見舞いを申し上げます。
さて、このような状況下でのフォーラム開催は随分と迷いました。
こんな時だからこそぜひ実行して仲間達で励まし合おうという意見もいただき、
小規模ですが、開催いたしました。

日時 2011年4月9日(土)
会場 かながわ女性センター 第一研修室

プログラム
13:30  被災者の方への黙祷
13:40 お礼のご挨拶とライトハウスラバーズ報告 山口義昭
13:45 「ライトハウス・ラバーズ、北海道、道東の灯台巡り」報告 湯田俊一
14:30 映画「ハナミズキ」監督・土井裕泰氏からのメッセージ/ダイジェスト版上映
14:50 休憩
15:00  「灯台と切手について」電気と灯台の切手収集家 三浦正悦
15:45  質疑応答、記念写真撮影など
16:00 軽食懇親会、灯台グッズプレゼントなど
18:00 終了

★映画『ハナミズキ』監督 土井監督からの素敵なメッセージをいただきました★

灯台フォーラムによせて

皆様、はじめまして。
映画「ハナミズキ」の監督、土井裕泰と申します。
先日、日本ライトハウスラバーズ代表の山口様よりお手紙をいただき、この映画が
「灯台」を愛好されている方々から支持されているということを知り、大変驚くとともに
嬉しくもあり、筆をとらせていただきました。

この映画は、主人公の男女の10年間を描いたラブストーリーで、
ふたつの灯台が、ストーリー上の重要なモチーフとして登場します。

ひとつは主人公の生まれ育った北海道東部の灯台です。
漁師の卵である男性の思い出の場所であり、ふたりの初恋を象徴する場所として描かれています。この灯台を決めるため釧路から根室に至る太平洋沿岸、網走近辺のオホーツク沿岸の数多くの灯台を見て回りました。

撮影場所を決めるにあたっては「立地条件」「灯台の大きさと形」「観光地化されすぎていない」「太陽の方向」など様々な条件を満たす必要があり、それらをある程度満たしていたのが浜中町にある「湯沸岬灯台」でした。険しい崖の上にありながら、その崖は美しい緑におおわれ、特にロケハンしていた夏場はとりどりの花に彩られ、その日本離れした景色に心惹かれました。

ただ、(おそらく最近の日本中のほとんどの灯台がそうであるように)一般の人間は灯台の上に上がることができなくなっていたのですが、何とか海上保安庁と町役場の協力を得られ、その問題もクリアすることが出来ました。
撮影は2009年の10月中旬に行われました。
夕日を狙うため昼間から準備をしていたのですが、当日は強風で空はずっと厚い雲におおわれていました。スケジュールの都合もあり、別の日に差し替えることも難しく頭を悩ませておりましたが(実際、監督という仕事はロケーション撮影の時は空とにらめっこしながら神頼みしていることが多いのです)、夕暮れ時奇跡のように厚い雲の隙間から太陽が顔をのぞかせ、その数分間の間に戦争のように撮影を進め、何とか美しいシーンを映像に収めることが出来ました。主役の新垣さん生田君も灯台に登るのは初めてだったようで、彼らにとっても忘れられない経験になったようでした。

さて、もうひとつの灯台はカナダの東海岸、ノヴァスコシア州にある灯台です。
主人公の女性はこの灯台のある町で生まれたという設定で、彼女の両親の恋愛と親子の絆を象徴する場所です。また、一度別々の人生を歩んでいた主人公のふたりをもういちど結びつけるきっかけになる重要な場所でもありました。

しかし脚本家も特別この地に土地勘があったわけではなく、「ノヴァスコシアに日本の遠洋漁業の船が立ち寄る港がある」「ライトハウスルートという道があり道沿いに灯台が点在している」というふたつの情報を頼りに、ロケハン隊はとりあえずカナダに飛ぶしかありませんでした。
行ってみるとライトハウスルートというのは、ノヴァスコシアの首都ハリファックスからヤーマスという港町にいたる数百キロにもおよぶ海沿いの国道のことでした。

われわれが滞在できるスケジュールは3日。インターネットで灯台の写真などは調べることが出来たのですが、実際の立地条件などはやはり見てみないとわからず、とにかくライトハウスルートを走り、出来るだけ多くの灯台を見て回ろうということになりました。
地図上の灯台の記号だけを頼りに走るという旅は、もしかしたら灯台愛好家の方から見れば夢のような旅かもしれませんが、実際はかなりハードな行程でした。
苦労してたどり着いても、とても近づけないような険しい場所であったり、船でしか行かれない沖合いの小島であったり、個人の家の庭先にある3m程度のものや完全な陸地の公園の中に移築されたものであったりで、限られた時間の中、途方に暮れかけることもありました。しかし、途中で見たおそらく18世紀、19世紀に造られたのであろういくつもの木造のかわいらしい灯台からは、当時の人々の生活がこの灯台と密接にからんでいたことが確かにしのばれ、いまも心に残っています。
結局、ロケ場所は州のランドマークにもなっている有名なペギーズコーブの灯台に決まりました。ひなびた小さな漁港を抜け、花崗岩の岩場の坂道を登った先に背の高い灯台が見えた時の感動。青空に映えた赤と白のコントラストが美しく、僕の中で北海道の湯沸岬灯台と符号がつながったのです。またこの地域は、湿原の多い道東と地形がよく似ており、
偶然とはいえ不思議な符合を感じました。この時、映画のファーストカットはこの地形を見せられるような空撮からはいることを決めました。
撮影は2010年の4月に行われましたが、当日は絶好の晴天に恵まれ、ヘリコプターを使っての空撮も夕陽を狙ったショットも、ねらった以上に美しくフィルムに収めることが出来ました。

この映画を通じて沢山の灯台と出会いましたが、いつもその場所にいくたびに「最果て」という言葉が頭に浮かびます。陸地の果て、厳しい風雨にさらされながら、変わることなく屹立している姿を見て、人生の厳しさにぶち当たり、迷いくじけながらも前に進んでいく主人公たちを、いつも見守り照らすような役割として「灯台」を描きたいと思いながらこの映画を作りました。
もしも、観てくださった方々の中に少しでもそんな思いが届いているならば、創り手としてこれ以上の喜びはありません。

近年、船のレーダーなどの高性能化などで、灯台は徐々にその役目を終えつつあると聞きます。保存運動などに取り組まれている皆様方のご苦労も多いかとお察しいたします。
微力ながら、貴会の今後のますますのご発展とご健康を、心よりお祈りしております。

2011年3月
映画『ハナミズキ』監督 土井裕泰 
     


第7回 灯台フォーラム

灯台フォーラムは灯台大好き、あるいは興味ある人々が灯台を文化的、歴史的、
そして美的観点から見つめ、語り合う会です。
講演者も毎年、さまざまな分野から素敵な方々にお越しいただいております。



 2010年4月24日、藤沢産業センターにて、「第7回灯台フォーラム」が開催されました。
 当日は関東のみならず、福島、静岡、大阪をはじめ、遠くベルギーからも、約70人もの灯台ファンが会場につめかけました。
 3人の講演者はいずれも個性的で、参加者の心を打つ素晴らしいお話をお聞かせいただきました。

 司会は昨年度、灯台レンズについて講演した舞踊家・不動まゆうさん

■「俺ら平成灯台守」 御前埼灯台を守る会副会長 齋藤正敏


〜2005年の第二回灯台フォーラムをきっかけに「御前埼灯台を守る会」を発足した齋藤氏に御前埼灯台の歴史・御前埼灯台を守る会の活動について映像を交えてお話いただきました〜

★御前埼灯台の歴史

 御前埼灯台は“静岡県最南端の岬の町”の灯台です。1635年(江戸時代、徳川家光の頃)現灯台の場所に“見尾火(みおび)燈明堂”(3.6m×3.6m×h2.8m)は行灯に菜種油を灯し、明治5年まで240年もの長い間、江戸に向かう船を見守っていました。1766年には薩摩の御用船が御前崎沖で遭難し、村人が助け、サツマイモをもらったエピソードがあります。また明治4年には鳥取からの船に乗っていた300人が遭難しましたが、幸い死者は出ませんでした。明治5年5月26日、イギリス人のR.H.ブラントンの指導により、日本で2番目のレンガ造りの灯台となりました(1番目は菅島灯台、3番目は犬吠埼灯台)。基礎となる石は伊豆から船で運び、レンガは灯台から8kmはなれたところで、地元の土を使って作成しました。明治7年5月1日初点灯。日本初の回転式1等レンズでした。これは犬吠埼灯台のために作られたものでしたが、御前埼灯台が先に完成したため、御前埼灯台が日本初となりました。戦時中は米軍の銃撃を受け破壊され、昭和24年に復旧し、3等レンズに変更されました。
 御前埼灯台は昭和32年に映画『喜びも悲しみも幾年月』のロケが行われ、戦時中のシーン、娘夫婦がエジプト渡航を見送るラストシーンで登場し、広く知られました。2009年5月3日には770名の協賛で『喜びも悲しみも幾年月』の歌碑が完成しました。

★御前埼灯台を守る会の活動
2006年に結成された「御前埼灯台を守る会」は灯台の歴史文化の伝承・保存、灯台を活用した町おこしをおこなっています。現在、会員は170名となり、灯台まつりの開催(5月3日〜5日)、海の日行事参加協力(7月20日)、全国灯台記念日行事参加協力(11月1日)、御前埼灯台資料館の開設、灯台めぐり(サンセットクルージングなど)を行っています。
 御前崎灯台ピンバッジ(¥300)も作成・好評発売中です。

〜パンフレットやイベントなどの充実ぶりに「御前埼灯台を守る会」の活動が素晴らしい進展をしていることがわかりました。日本全国で各灯台が地域密着の楽しい活動が増えていくことを、灯台ファンも楽しみにしています。

■「日本初女性灯台守 萩原すげさんについて
   〜稲取町から映画化の相談を受けて〜」 テス企画代表 映画監督 泉 悦子


〜女性の映画をメインに映像を撮る泉氏には、現在計画中の萩原すげさんの映画企画について、稲取灯台で収録した映像をからめながらお話いただきました〜

★灯台守に人生を捧げた日本初女性灯台守・萩原すげ
 2007年に製作した『心理学者 原口鶴子の青春〜100年前のコロンビア大留学生が伝えたかったこと』で100年前、単身、ニューヨーク・コロンビア大学へ留学し、日本女性初の心理学博士号を取得した原口鶴子の生涯を映像化したことにより、日本女性初の偉業を成し遂げたという点で共通する、日本初の女性灯台守である萩原すげさんのお話が舞い込みました。昨年(2009年)8月と11月に稲取灯台に行き、萩原すげさんのご長男の嫁にあたる萩原朝子さんにインタビューをしました。
 すげの祖父・清四郎は峠茶屋を営みつつ、手作りの灯明台(油紙をはり、菜種油を点火)を作り“仏の清四郎さん”と呼ばれました。そして父・為次郎は自費で横浜に赴きガラスを購入し油紙をガラスに変えました。1902年にはトビウオ漁船の海難事故が起こり、たくさんの漁師が死亡し稲取灯台の必要性を訴えましたが願いは叶えられず、「自分たちの命は自分で守ろう!
と、役場と町民たちが立ち上がり、17 年間で資金を捻出し、1909(明治42)年、静岡県東伊豆相模灘を見下ろすトモロ岬に稲取灯台が完成しました。イギリスに注文したマントル式点灯器が届いた際には、正式な灯台守の資格を持った人が必要となりました。父・為次郎は60歳を過ぎて高齢のため、16歳のすげに白羽の矢が立ちました。峠から講習場のある下田港口の松本旅館まで、往復50キロ、片道5時間の道のりを朝3時に起き、母の弁当とわらじ二足を持ち下田まで通い、見事、灯台守の試験に合格しました。1914(大正3)年、イギリスからマントル式点灯器が到着し、12月20日、20歳のすげにより点灯しました。すげを看板娘として御茶屋はとても賑わいました。1917(大正6)年、結婚し四男六女をもうけました。灯台の手伝いをよくしてくれた次男・芳男が出征し、24歳の若さで戦死したことは、すげの人生の中でも最も辛い出来事でした。
 1914年日本女性初の灯台守となったすげは、1945(昭和25)年に灯台が廃止となるまで、結婚、出産、戦争、息子の戦死、夫のケガを乗り越えて、命の灯をともし続けたのだった。そして96歳で天寿をまっとうしました。稲取灯台は1985年復元されました。
 現在は映画化にむけて尽力しており、稲取町議会などいろいろなところに映画企画を持ちかけるが、不況のあおりもあり協賛も難しく資金が不足していて、映画化はまだ計画段階となっているそうです。

〜映画制作者から見た萩原すげの一生をお聞きし、大変興味深いお話でした。映画化されることを楽しみにしています。
 
 萩原すげさんのお話は、萩原朝子さんの刺繍で綴る本「稲取灯台の変遷と灯台守」で読むことができます。
 現地には、その刺繍館があり実際の刺繍を観ることができます。

イギリス最北の灯台マックル・フッラガー取材記」 武石 堯


〜茨城新聞に「灯台めぐり、ペダルの旅」(紀行文・画)を連載している武石さんにご自身で描かれた灯台の絵を紹介していただきながら、昨年訪れたイギリスのマックル・フラッガー灯台を中心に灯台紀行のお話を伺いました〜

★灯台が人間を作る
 自転車が好きで、いろいろなところを巡るのに灯台を目指すのが良いだろうと灯台巡りを始めました。日本、アイルランド、イギリス、スコットランドの灯台を巡ってきましたが、灯台関係者はみなさんとても快い対応をしてくださり、誰かのために光を灯すという行為は人間を鍛え上げるのだろうと感じています。
 イギリス最北の灯台マックル・フラッガー灯台は「The Impossible Lighthouse」(不可能の灯台)と言われるくらい灯台の建設なんか絶対にできそうもない岸壁にたつ灯台です。2009年6月、シェトランド諸島に滞在し、最北の島の入り江からのボートを出せる日を待つ。翌朝ボートが出るという前日、宿に電話をもらい、自転車では行けない悪路のため、バスに乗らなければならない。宿の方が心配して、バス会社に確認して約束の11時には船着場までバスが行くことを確認してくださった。当日、無事バスに乗るが、船着場への道の途中で止まり「ここからは歩け」と言われる。その時点で10時30分。必死の交渉もむなしく、帰りのバスは16時だと言い残し、バスから降ろされてしまう。もう11時には船着場には間に合わないだろうと途方に暮れつつ歩いていると、後ろから一台の自動車が走ってきた!自動車を止め、事情を話し船着場まで乗せてほしいと交渉したところ、なんと乗せてくれたうえにボート会社にも電話をいれてくれ事情を話してくれました。なんて良い人なのだ、と思ったらその島の港湾長で保安委員の委員長だった。偶然、本当に良い人と巡り会えた!そして無事、ボートに乗ることができました。お客は野鳥観察の方と自分の2人だけ。夏場はバードウォッチングの人々で混むらしいが、灯台を見に来る人は少ないようです。ボートは風速5〜7m/秒の中を進む。現地では船に揺られながらササっと絵を描き、宿でもう一度イメージを描きなおし、清書しています。清書しなければと思うと、宿でウィスキーを飲み過ぎなくてすみます。灯台の絵を描いたスケッチブックはもう23冊になりました。
マックル・フラッガー灯台の元灯台守の方にお話を聞いたところ、灯台守の条件は@1人でいることが平気A人付き合いの良い人(一緒に長い時間を過ごす相棒灯台守と仲良く過ごせる人)B料理のうまい人C手先が器用な人D趣味のある人です。

〜武石氏の豊かな人生経験を背景とした味わい深いお話に感動しました。「誰かのために光を灯す行為は、人間をつくる」という言葉はとても印象的です。たくさんの灯台を巡り、豊富な知識を持つ、バイタリティ溢れる武石氏の話をもっと聞きたいという意見が多数寄せられました。

*灯台情報

■小樽の日和山灯台の霧笛が2010年3月31日に終了(映像紹介 海上保安庁OB・堀氏)
 日本で最後の霧笛がなくなりました。
 ちなみにこの灯台は『喜びも悲しみも幾年月』では白い灯台でしたが、カラー映画で目立つようにと「石狩灯台」を紅白横線塗にしたところ雪の中で良く目立ったので、その後、第一管区では正式に紅白横線塗を採用し、それまで白黒横線塗はありましたが紅白に変え、現在はずいぶん紅白が増えました。その中の一つが「日和山灯台」です。

■犬吠埼霧笛者を文化財として保存する活動(犬吠埼ブラントン会 仲田氏)
 2008年3月末日をもって廃止された霧信号所(霧笛)。明治の面影をそのまま残す全鉄製のカマボコ形霧笛舎とともに、つい最近まで現役として立派に稼働していたのは、実に多くの人々の努力に支えられてのことでした。犬吠埼ブラントン会はいま、これら先人の労苦に思いを致し、深く敬意を表するとともに、「失われた音」の保存や専門家による霧笛舎の学術調査を実現させ、霧笛の文化を後世に伝え残していきたいと活動し、2010年5月9日には犬吠埼霧笛100年記念シンポジウムが行われます。

■ライトハウス・ラバース活動報告 世話役代表 山口義昭

 2009年6月に1泊2日で北関東灯台ツアーを開催。25才〜75才と幅広い年代の方々24名が参加し、6台の車に分乗、犬吠埼、鹿島、磯埼、日立、塩屋埼の各灯台を巡りましたが、そのうち4基は海上保安庁の方々のご協力のもと、特別に内部を観覧させていただき、皆大感激でした!また、犬吠埼では、ブラントン会との会食、大洗旅館での楽しい宴会など、参加者同士の親交もとっても深まりました。なお、不動まゆうさんの旅行記は雑誌「燈光」の2009年の最優秀賞に輝きました!
 9月にはスコットランド灯台ツアーを開催。13名の参加者で灯台8基を訪問しました。こちらも海上保安庁のご助力で現地にて特別に内部を観覧させていただきました。スコットランドの灯台は石造りで立派なものが多く、設計者のスティーブンソンは日本の灯台を指導したブラントンの上司だったため、犬吠埼や御前埼灯台に似ているものが多かったことが印象的でした。
また、メンバー有志は夏の暑気払いパーティや新年会を地元藤沢で毎年行っております。


「灯台守の子供会」の皆様

 「灯台守の子供会」の方々へのインタビューも行われ、みなさんの暮らした灯台やその時のエピソードも披露していただきました。「灯台守の子供会」の方々のお話、映画「喜びも悲しみも幾年月」、萩原すげさんのお話と、灯台守が常駐していた時代は、灯台の数だけ物語があることに感銘を受けました。
 灯台の魅力の幅の広さをさらに感じ、灯台ファン同士の交流も盛り上がり、とても充実した素晴らしい会となりました。
Photo by M. Nishimura
Reported by M. Yamamoto



第6回 灯台フォーラム
2009年4月19日(日)


★総括
 2009年4月19日(日)、藤沢産業センターにて、「第6回灯台フォーラム」が開催されました。「灯台フォーラム」は、全国から灯台ファンが集まり、文化や歴史、美的観点から語り合うイベントです。
 20代から80代まで、年齢層も様々な約70名余の参加者で会場は満席となりました。静岡・御前埼灯台を守る会、灯台学生寮に住んだ灯台守のご子息、灯台の切手消印収集者、先日の朝日新聞紹介記事を見た方など、たくさんの灯台ファンが集まりました。

 第1部は灯台を愛する5名の方の講演です。灯台写真家、灯台画家、帆船日本丸男声合唱団キャプテン、今津灯台を所有する大関株式会社、灯台レンズに詳しい舞台振付師とバラエティに富んだ人選の講演を聞き、灯台ファンを楽しませました。

 第2部は立食パーティで、講演者・参加者がともに話す機会が設けられ、和気藹々としたムードで進行しました。灯台グッズが当たる抽選会が催され、灯台守のご子息のお話を聞き、最後は『喜びも悲しみも幾歳月』の合唱で締め括りました。

★スケジュール
第1部 13:00 ライトハウス・ラバーズ活動報告 世話役代表 山口義昭 
     13:15 「灯台に泊ってみませんか? おすすめの宿アメリカ、イギリス編」
           灯台写真家 三野富士雄
     13:50 「帆船日本丸男声合唱団の紹介」キャプテン 大町正人
     14:15 「灯台との出会い」灯台画家 小林盛幸
     15:00 「今津灯台と大関酒造」大関株式会社名誉会長 長部文治郎
     15:40 「灯台への想い」 舞台振付師 不動まゆう
     16:20 質疑応答、記念写真撮影など
第2部 16:40 軽食懇親会、灯台グッズプレゼント
     19:00 終了

★第1部詳細

*ライトハウス・ラバーズ活動報告 世話役代表 山口義昭氏
 山口氏は、灯台を愛する人の会『ライトハウス・ラバーズ』の昨年の活動を報告されました。
 毎年恒例の灯台ツアーは、2008年は鳥羽志摩灯台巡りが開催されました。菅島灯台、大王埼灯台、安乗埼灯台を巡り、志摩市長を訪問し「灯台を観光名所としていかに有効活用すべきか」という観点で意見交換などが行われました。
このような他では味わうことのできない貴重な体験ができることも、ツアーの魅力となっています。
 また、灯台愛好家を集めた親睦会なども開催されました。


*「灯台に泊ってみませんか? おすすめの宿アメリカ、イギリス編」
 灯台写真家・三野富士雄氏

 イーストブラザー灯台 撮影/三野氏

 三野氏は、1992年にアメリカで灯台のユースホステルに宿泊したことがきっかけで、海外の灯台の虜になり、以後毎年、海外の灯台を巡っていらっしゃいます。 
 まずアメリカ灯台の保存・活用の歩みを話されました。
 アメリカ灯台は、1960年から1980年頃、灯台の無人化・自動化がすすみました。財政難のアメリカ政府は維持・管理コスト削減の為に、民間の団体や個人に灯台を貸し出し、払い下げました。灯台を民間の手にバトンタッチし、各地で試行錯誤が行われました。
 1996年、メイン州のメイン・ライト・プログラムが誕生しました。30近くの灯台に最適の引き受け団体をコーディネートして保存・活用するプログラムです。調印式では、当時の大統領(ビル・クリントン氏)が出席しました。ここからもアメリカでは灯台がメジャーなものであることがわかります。
 このような経緯により、アメリカの灯台は宿泊が可能となっている施設が多い
そこで三野氏が北米・イギリスの、おすすめの泊まれる灯台を旅行者の趣向に合わせて、写真を見ながら解説してくださいました。下記抜粋。
旅行者の趣向 おすすめの泊まれる灯台 場所
ゴルフが好き ロックランド サモセット リゾート メイン州
小さな島でロマンティックに過ごしたい イースト・ブラザーB&B カリフォルニア州
灯台で結婚式を挙げたい ライトハウス・イン マサチューセッツ州
昔の灯台守の暮らしに憧れている ローズ・アイランド ロードアイランド州
赤毛のアンが愛読書 ウェスト・ポイント プリンス・エドワード島

 灯台の宿のインテリアを見るのも楽しみのひとつという三野氏。今後も素敵な灯台写真を集めた写真展の開催が楽しみです。


*「帆船日本丸男声合唱団の紹介」キャプテン 大町正人氏(元ボニージャックス)

 大町正人氏

 大町氏は帆船日本丸男声合唱団の指揮を務めていらっしゃいます。大町氏にはその合唱団の紹介を、楽しいエピソードを交えてご披露いただきました。
 帆船日本丸男声合唱団はISSA(International Shanty and Sea song Association)324団体中、唯一の日本の団体です。主にシーシャンティ(海の男の歌)を歌っています。日本人は”TH・R・L”の発音が苦手だが、合唱団のメンバーも苦手としているが、気にせず開き直って歌い楽しんでいます。

 大町氏のジョークを交えた朗らかなお話に会場は沸きました。


*「灯台との出会い」灯台画家・小林盛幸氏
 
 小林盛幸氏  支笏湖の灯台(北海道)画/小林氏
 
 小林氏には灯台との出会いについて、お話いただきました。
 長野出身で初めて海を見たのは小6。初めて灯台を見たのは23歳で横浜港赤灯台・白灯台で釣りをしたときでした。そして会社を退職し、絵を本格的に描き始めました。テーマを「光」に定め、いろいろな光の作品を描きました。その中のひとつとして、横浜の灯台の思い出を描きました。その際、横浜の赤灯台がどんな灯台かを調べ、灯台の本質を絵の中に取り入れたいと模索するうちに、灯台にのめり込みました。

 小林氏には、いろいろな画家が描いた灯台の絵と自身の絵を紹介していただきました。「どこの灯台かわかりますか?」と聞くと、客席からは答えが!さすが灯台ファンです。


*「今津灯台と大関酒造」大関株式会社名誉会長 長部文治郎(VTR)
 
 長部文治郎氏   今津灯台
 
 長部氏には、現存する日本最古の灯台である今津灯台の歴史についてお話いただきました。
 大関酒造は1711年に創醸(創業)しました。1810年に神戸・今津港に「大関酒造今津灯台」が、出入りする樽廻船や漁船の安全を願い、建てられました。1858年には長部家6代目文治郎が、航海の安全を図るため、灯台を再建しました。
 1965年には、107年ぶりに解体復元されました。日本の洋式灯台点灯100年の記念年にあたる1968年には、航路標識として海上保安庁から正式に承認されました。これにより、海図や灯台表にも登載される民営灯台となりました。来年は創建200年イベントを開催予定です。その一環として大関とライトハウスキーパーとのコラボレーションで緑の光が灯る今津灯台レプリカが生産、発売されました
 長部氏のお話を聞き、いつの時代も灯りを灯し続ける今津灯台を訪ねたくなりました。


*「灯台への想い」舞台振付師・不動まゆう

 不動まゆう氏
 
 灯台からインスピレーションを受け、舞台の振付に生かすという不動氏には、灯台への思いを語っていただきました。
 灯台のレンズが大好きです。灯台のレンズは、灯篭の中に宝石のように大事に入っていて、昼は光に反射して時おり輝き、夜は何10kmも照らす強さに惚れ込んでいます。
 フレネルレンズは昔、フランス・イギリスから輸入し、その後12年前までは日本でも作られていました。現在は耐震性耐久性に優れるLEDライトなどが使われ、フレネルレンズを作っているところはありません。(海上保安庁のフレネルレンズ作成ビデオで、レンズについて説明)
 フレネルレンズが入っていて、観光地ではない場所の灯台が好きですが、現在は大きい灯台にしかフレネルレンズが入っていないのが寂しいです。灯台を観に行く時は、灯台表(海上保安庁刊行)を持っていくと便利です。

 不動氏の「孤高の灯台のように強く生きたい」と熱く語る姿に会場は大いに沸きました。ちなみに不動氏が客席に“灯台を好きな理由”を聞くと、灯台が建築的に好きな人は5人、灯台標識として興味がある人は2人、灯台を含めた景色が好きという人が圧倒的に多数という結果でした。


★感想
 今回、私は初めて灯台フォーラムに参加しました。数年前から灯台に興味を持ち始めた灯台ファン歴の浅い私は、いろいろな方のお話を聞いて、もっと灯台に興味を持ちました。
三野氏の講演で海外の灯台に泊まりたくなり、大町氏の講演で海のロマンを感じ、小林氏の講演でいろいろな画家に描かれる美しい灯台を見て、長部氏の講演で日本式灯台の渋さを感じ、不動氏の講演でフレネルレンズの美しさに見入りました。
 また第2部では講演者の方々、灯台守のご子息として僻地の灯台で少年時代を過ごしたお話、御前埼灯台を守る会の方のお話、そして出席者それぞれの灯台への思いなど語り合えて、とても楽しい時間を過ごすことができました。
 これからの灯台巡りが、さらに一層、楽しみになりました。そして、来年の灯台フォーラムが今からとても待ち遠しいです。
   ライトハウスラバース  スタッフ 
M.Kobayashi


 



第5回 灯台フォーラム
2008年4月26日(土)

Reported by Y. Fujiki
 2008年4月26日(土)、藤沢産業会館にて、第5回灯台フォーラムが開催された。 午後12時過ぎ、7歳から86歳までと、年齢層も様々な約60名の参加者で会場はほぼ満席となる。司会を務められたのは、元第六管区海上保安本部灯台部長であり、社団法人燈光会を退任された後もフリーとしてご活躍中の玉宮隆氏である。趣味のお能で鍛えられたという美声が会場に響き渡り、和やかな雰囲気の中でフォーラムが幕を開ける。

 灯台グッズの店『ライトハウス・キーパー』のオーナーであり、フォーラムの主催者である山口氏が、灯台を愛する人の会『ライトハウス・ラバーズ』の昨年からの活動を報告する。 1999年に始まり13回を超える国内外の灯台巡りツアーは、ライトハウス・ラバーズにとっては無くてはならない行事となっている。他では味わうことのできない貴重な体験ができることも、ツアーの魅力のようだ。
 2007年南伊豆の灯台巡りで船上から眺めた神子元島灯台は印象的な灯台として記憶に新しい。 「神子元島灯台」は、下田港南沖にある神子元島に明治3年に建設された。その「神子元島灯台」を近代化遺産という観点からスポットを当てたビデオが上映される。明治時代は、西洋の技術を積極的に取り入れた時代である。近代化遺産と呼ばれる現代建築の多くは、この時代に建設されている。灯台の父と呼ばれる、イギリス人技術者であるブラントンが設計した神子元島灯台は、その近代化の第一歩を担う存在だったという。 今なお専門家や建築家から注目される明治時代の建築物は数多くあるが、この荒波に朽ちた白黒の灯台を近代化遺産として思い浮かべる人は稀なのではないだろうか…。  

 そんな想いを誰よりもリアルに感じているだろう人がいる。写真家の野口毅氏である。建築写真を中心に撮影活動を続けていた野口氏だが、灯台の建築物としての美しさに魅了され、数年前から仕事の合間に灯台の写真を撮り始めたそうだ。
 今回は、彼のプロジェクトである『明治時代の保存灯台 66基』のうちの一部を、スライドショーにて紹介してくれた。 明治時代の灯台に趣があるのは、明治以降の灯台がコンクリートでできている一方で、石、レンガ、木で造られているためだという。
 ホルンが奏でるバッハの心地よい BGMに乗せて、美しい灯台とその周辺の風景が次々と映し出される。下から見上げた螺旋階段、巨大なレンズ、逆光に浮かび上がる迫力のある姿、点灯直後のレンズと空の色のコントラスト等、灯台の持つ意外な表情にハッとさせられる。要塞の跡や野原で戯れる馬など、灯台ある立地ならではの風景にも野口氏のこだわりが感じられる。会場は美しい写真の数々に息をのむかのように静まり返る。
 野口氏の口から淡々と語られる撮影時の裏話も興味深い。アクセスの悪い金華山灯台に折りたたみ自転車がボロボロになるほど苦戦して辿りついたこと、フレネルレンズが大きくてフレームに入りきらないこと等、生の体験談が目の前の写真をいっそうリアルなものにする。灯台がこれほど様々な表情を持っていたとは、知らなかった人も多いのではないだろうか。スライドショーが終わると、会場からは大きな拍手と感嘆の声が上がった。

 野口氏と同様、明治時代の灯台に特別な想い入れのある方がいる。近代化遺産の一つである犬吠埼灯台の研究および保存活動を行う『犬吠埼ブラントン会』の代表幹事を勤める仲田博史氏である。今年、3月末に犬吠埼の霧笛が廃止になった。そのことを受けて、「Lost Sound、百年の吹鳴ここにきわまる」というテーマで、音波信号である霧笛の歴史やメカニズムについて、ご自身の熱い想いを織り交ぜながらお話してくれた。
 犬吠埼の霧笛は、明治43年4月1日に設置され、98年間もの間、船の安全を守り続けた。日本最後のエアサイレンである霧笛が廃止された理由としては、技術の進歩、灯台の無人化によって手動の霧笛が鳴らせなくなったこと、そして、音達距離が短く、音の方向が確認しづらいという霧笛の持つ弱点が挙げられる。圧縮空気が吹鳴器を通ることによって音を発する霧笛。霧笛の音とは一体どんな音なのだろう?会場の期待に応えて、仲田氏が録音した霧笛の音を披露してくれた。牛の鳴き声によく似たその音は、むせび泣くような切ない余韻の残る音だった。
 霧笛の歴史を遡ると、鐘、銅鑼、爆発信号に始まり、実に様々な方式の音波信号が存在したことがわかる。発動機の歴史や戦前の霧笛機械など、仲田氏の研究は詳細に渡り、奥深い。当時の写真を投影しながら語る仲田氏からは、霧笛によせる情熱が伝わってくる。
 講演の最後には、「最後の霧笛によせる想い」と題してNHKが犬吠埼の霧笛と地元の人々の想いを紹介した番組のビデオが上映される。仲田氏を含む、銚子の人々が、鳴らし納めとなる霧笛の音を神妙な面持ちで聞いているシーンが印象に残る。地元の人々にとって、霧笛の音は生活の一部であり、様々な思い出と共にある存在だったに違いない。今後は、国の文化財として霧笛を現状のまま保存する試みを始め、移設保存、部分展示、音の録音など、様々な形で保存支援活動を続けてゆきたいという仲田氏。講演を締めくくる力強い言葉に、会場からは大きな拍手が起こった。


 灯台を巡るノンフィクションに想いを馳せた後は、ガラリと雰囲気は変わって、フォーラムの舞台はフィクションの世界へ…。絵本『おばけ灯台』を製作した、きむらみほさん、奈浦なほさんの姉妹である。妹のきむらさんが絵を、姉の奈浦さんが文を担当している。
 灯台との出会いは、生まれ育った湘南に足を運んだ際、偶然訪れた江ノ島のライトハウスキーパーだったそうだ。『おばけ灯台』は、子供が不安と向き合い、やがて自分自身のありのままの姿を受け入れて進んでゆくというストーリー。おばけとは、自分の中のおばけ=他人とは異なる自我である。そして、灯台は、象徴的な存在として描かれる。孤立感を抱えた子供たちは、おばけの集まる灯台にたどり着き、やがて自分の中のおばけを受け入れて旅立って行く。灯台は、その道を照らす優しい理解者のような役割を果たしている。
 きむらさんは、三浦半島の剣崎灯台をはじめとする数箇所の灯台に実際に足を運び、イメージを膨らませたそうだ。きむらさんが披露する原画には、暗闇に浮かび上がる白い灯台の圧迫感、下から見上げた螺旋階段が表す気の遠くなるような心情などが、実に効果的に描かれている。これまで、講演者の多くが、灯台を美的観点や文化的な観点から語ってきた。灯台の象徴的な側面にスポットを当てたのは、おそらくお二人が初めてだったのではないだろうか。灯台の魅力は実に幅広く、人の心を照らしだす象徴的な存在でもあることに、あらためて気付かされたような気がした。

 フォーラムの最後を飾る講演者は、かつて、おばけ灯台から旅立った子供だったかもしれない。松田隆氏は、樺太(現在のサハリン)、知来岬灯台で生まれた。 元海上保安官であり、灯台守である父親は、恵山岬、宗谷岬、塩屋埼など、12箇所の灯台に勤務したという。そのうちの5箇所の灯台で、家族と共に生活したご自身の記憶と灯台守の仕事について、当時の写真を紹介しながら語ってくれた。
 冬場はマイナス20℃という過酷な環境で生まれた松田氏は、終戦後、家族とともに函館に移る。時代は、昭和18年〜20年。母親の記憶によると、昼間の発砲射撃を避けるために、ソ連軍に連れられて、夜の間に港へ向かったそうだ。函館からバスで一時間くらいの場所に、恵山岬灯台は位置する。松田氏の記憶に残る最も古い灯台である。当時の恵山岬灯台と現在の灯台がスクリーンに映し出される。当時の灯台には、霧笛室、事務所、そして官舎が立ち並び、建物の間には洗濯物が干されている。今では目にすることのない生活の営みの感じられる灯台の写真に、会場は釘づけになる。現在の恵山岬灯台からは、モノクロの写真にある灯台以外の建物は壊され、鉄塔と灯台のみが当時の面影をかろうじて残している。恵山岬灯台で生活する松田少年は、町のはずれの小学校まで片道一時間弱の道のりを毎日歩いて通っていたそうだ。日が暮れる中、熊や狐のいる林の中を不安な気持ちで延々と歩いてゆくと、やがて灯台の光が見えてくる。その光を見ると、ホッとして一目散に走って帰った。そう当時の様子を語る松田氏。灯台の生活を知らない現代人にとっては、まるで映画のワンシーンのように浮かんでくる長閑な光景だが、現実は映画のように生易しいものではなかったようだ。
 次の赴任地であった利尻島の鴛泊灯台の生活がその厳しさを物語る。冬の間は、岩山に建つ鴛泊灯台から凍る道を、父親が先頭になって兄弟皆で四つん這いになって学校へ通い、そりで斜面を転落しそうになったこともあったという。スクリーンの写真からは、共同生活の賑やかな様子もうかがい知ることができる。お正月に着飾って撮った写真、おかっぱ頭の子供たち、そして、鴛泊から出発する連絡船で別れを惜しむ人々…。町から孤立した灯台での生活は、不自由なことも多く、我々の想像を超える厳しい生活だったに違いない。その反面、松田氏の紹介するエピソードや写真のどれをとっても、人と人とのふれあいや温もりが溢れている。昆布を干したり、レンズを磨いたりして親を手伝ったという灯台の子供たち。モノクロの写真の中の子供たちは、厳しさの中で助け合いながら生きることを自然に楽しんでいるように見える。人と人のつながりが希薄な現代を生きる子供達よりも、本当の意味で幸せなのではないかとさえ思える。
 松田氏は、講演の最後に、『喜びも悲しみも幾年月』のラストシーンを映像で紹介してくれた。灯台に灯を入れて、船の安全を祈りながらお互いのことをいたわり合う夫婦の様子が、松田氏のエピソードと重なる。 船を守ることは、かつて灯台守に託されていた。今、現代人の私たちに託されているのは、灯台を守ること―壊れゆく古き良きものを残すこと、そして、人と人の間に存在した温もりを取り戻すことかもしれない。松田氏の講演は、そんなメッセージをフォーラムの最後に残してくれた。そして、松田氏同様、灯台守のご家族を持つ参加者からのコメントが、そのメッセージをより強いものとし、フォーラムは幕を閉じた。






第4回 灯台フォーラム
2007年4月21日(土)

Reported by Y. Fujiki

 2007年4月21日(土)江ノ島の女性センターにて、第4回灯台フォーラムが開催された。海の安全を守る灯台を、文化的及び美的観点から考えるこのフォーラムの認知度も年々高まり、今回は全国各地から70名を越える参加者で賑わった。
 その顔ぶれも多種多様。海が大好きな方々を始め、海上保安庁に勤務される方、灯台守を親に持ち子供時代を灯台の官舎ですごした方、灯台画家、写真家、灯台をモチーフにした雑貨を作るアーティスト、灯台巡りを趣味にする方等、「灯台」というひとつの共通点を持つ様々な人々との出会いも、このフォーラムの楽しみである。

 12時半、春の心地良い日差しの中、フォーラムの幕開けとなる。ライトハウスキーパーのオーナーであり主催者である山口氏が伊豆半島の灯台巡りやアメリカ東海岸の灯台巡りツアーを始めとするライトハウスラバーズ(灯台を愛する仲間)の活動を紹介。
 元灯台守である講演者にちなんで「最後の灯台守」についてのドキュメンタリー映像が上映される。昨年、日本で唯一の有人灯台であった長崎県の女島灯台が無人化された。灯台の無人化はニュースにも取り上げられているが、その灯台と共にある人々のドラマは意外と知られていない。
 そんな想いを託して、今回は元第六管区海上保安本部灯台部長である玉宮氏を迎えた。玉宮氏が初任されたのは、昭和37年の岩手県トドヶ崎灯台。その後、海上保安庁灯台部、航路標識測定船「つしま」での遍歴を経て、平成12年に第六管区海上保安本部灯台部長をご退任。社団法人燈光会を退任された現在は、フリーとして多忙な日々を送りつつ、ライトハウスラバーズの頼りになる大御所的存在である。周囲6キロに狐と狸しかいない大自然と向き合う日々、一日水瓶一杯という貴重な水を家族で分け合っていたこと、不自由だったトイレのこと。玉宮氏がユーモアいっぱいに語るエピソードは、苦労のない現代社会しか知らない多くの参加者にとっては驚く話ばかりで、会場からは笑いと共に感嘆の声も…。ところが、どのエピソードにも暗い影はなく、苦労を苦労とは思わずに跳ね飛ばしてしまうような、当時の人々の逞しさや明るさに溢れていた。又灯台が政治に巻き込まれてしまう一面があること、アメリカと日本の灯台行政の違いなど、興味深い事実も印象的だった。

 日本の海を守る人々のドラマの次は、太平洋を越えて舞台はアメリカへ。現在上映されているアメリカ沿岸警備隊を舞台にした映画「守護神」の予告編が上映され、元アメリカ沿岸警備隊員のジョン・ステモンズ氏が登場する。奥様による息の合った通訳で、沿岸警備隊として五大湖の灯台を管理していた当時の経験を語ってくれた。特に印象に残ったのは、冬の凍てつく嵐の中、前後に真っ二つに折れた船から冷たい湖に放り出された15名の乗組員全員を命がけで救助したというサクセスストーリー。危険と隣合わせの生々しい経験を熱弁するステモンズ氏からは、コーストガードという仕事に対する誇りと情熱がひしひしと伝わり、会場は圧倒されたように話の釘付けとなる。又、時折会場を巻き込むように、質問を投げかけるシーンも見られ、五大湖で沈没した「エドモンド・フィッツェラルド」を知っているかとの問いかけに首を振る会場に対して、「本当に皆灯台好きなのかい?」「誰も知らないようだから、話をでっちあげてしまおう!」とおちゃめなジョークで会場を笑わせてくれた。

 灯台と一心同体のような人生を送られてきた玉宮氏とステモンズ氏の興味深いお話の後は、がらりと視点が変わり、今度は灯台を美的観点から見る後半の部へと移る。灯台が作る光と影に魅了されて、アメリカ東海岸の灯台を描いたエドワード・ホッパー。ホッパーの愛した灯台画の謎に迫るエピソードを紹介したビデオ上映が行われる。灯台を美的観点から見るというのは、多くの日本人にはぴんと来ない概念かもしれない。ところが、感情移入された絵画を目前にしてみると、その建造物としての美しさと興味深さにうなずく人も多いのではないだろうか。
 そんな魅力を野山にひっそりと佇む油絵の灯台と共に伝えてくれるのが、灯台画家の徳野氏である。16才の時に潮岬灯台と出合い、樫野崎灯台を訪れた昭和47年以降、モチーフを灯台一本に絞り、約30年にわたって描き続けているという。長年にわたる全国各地の取材や個展を通じて、地元大阪の漁師の方々から長島茂雄氏まで多くの恩人に出会い、支えられてきた画家人生について思い出を辿るように語ってくれた。灯台の美にこだわり続ける情熱が人々を集めるのではないだろうか。「将来は灯台の近くに美術館をつくり作品を展示したい」という徳野氏の語る夢に、会場から賛同の拍手が起こる場面も見られた。

 フォーラムの最後を締めくくってくれたのは、フォーラムではお馴染みの寺嶋氏の灯台巡り紀行である。ヨーロッパ各地の灯台を訪れ、撮影を続けている寺嶋氏。その数はすでに数百箇所というから驚きである。今回はフランス編。フランスで最も高くて美しいことで知られるコルドゥアン灯台の内部は、まるで聖堂のようだと語る。寺嶋氏の灯台紀行からは、灯台から垣間見ることのできるそれぞれの土地の文化や風土が興味深く印象に残る。「エジプト、アレキサンドリアのファロス灯台の遺跡をいつか訪ねたい」と今後の抱負を語ってくれた。

 午後16時半、陽も傾きかけた夕暮れ時の江ノ島。知的好奇心や創作意欲を刺激されて、お腹もすいてくる頃、参加者は懇親会会場へ…。講演者、参加者、そしてスタッフの全員が気さくな雰囲気の中、飲んで食べておしゃべりに花を咲かせる。ライトハウスラバーズは20代から80代までと実に年齢層が広い。灯台を愛する気持ちはジェネレーションギャップを越えて、不思議な親近感を生むようだ。懐かしそうに再会を喜び合う光景も見られる。くじ引きの景品に一喜一憂する声、そして「灯台守の歌」の大合唱に会場は盛り上がり、やがて江ノ島に夜のカーテンが降りてくる。

 賑やかな面々と別れを告げ、見上げるとそこには見慣れた江ノ島灯台が…。近代的な灯台が光を放つ姿を背に、ふと灯台に想いを馳せる。
 有人であった時代の灯台の明かりは、今よりもずっと人の目に強く温かく光っていたのではないだろうか…と。





第3回 灯台フォーラム
2006年3月25日(土)

2006年3月25日(土)、民間の灯台を愛する人たちの会、
「ライトハウス・ラバース」主催の第三回灯台フォーラムが
江ノ島かながわ女性センターにて開催されました。
灯台を文化的、歴史的、そして美的観点から見つめ、
語り合うことを目的としたこのフォーラムは、2004年にスタート。
毎年全国各地から様々な職業と年齢層の方々が参加し、
その数は年々増加傾向にあり、灯台好きの人々の交流及び
灯台文化普及の場として恒例の行事となりつつあります。
今年も実に個性豊かな4名の講演者の方々に恵まれました。


 フォーラムの最初を飾って頂いたのは、海上保安学校灯台課を卒業後、襟裳岬灯台、とどヶ埼灯台、犬吠崎灯台などの勤務を経て、平成16年銚子海上保安部航行援助センター所長を退任されたという経歴をお持ちの鈴木照秋氏。親子2代で灯台守をされてきた40年間の思い出を当時の時代背景を織り交ぜながら、感慨深い面持ちでお話してくださいました。初めて船からの交信を受けた時の緊張感、襟裳岬を大きな荷物を抱えて訪れる「かに族」と呼ばれた若者達(現在で言うバックパッカー)の様子、能登半島はじめ各地の伝統や文化に触れた体験など、厳しい灯台守というお仕事をされてきた中、各地の人々との温かい交流を垣間見ることのできる素敵なお話でした。


 そして、日本を代表する映画としてあまりにも有名な「喜びも悲しみも幾年月」の主題歌をはじめ、「伊豆の踊り子」、「野菊の如き君なりき」、そして最近では水戸黄門の主題歌「水戸黄門漫遊記」の作曲家である木下忠司氏からは、撮影中や作詞、作曲中の貴重なエピソードの数々と九十歳というご高齢とは信じがたいようなユーモアのある軽快なお話し振りに会場が盛り上がりました。
 一週間後に控えているロケのために、俳優が簡単に覚えられる曲を作るように依頼された木下氏。それに応え、ほんの1日か2日で楽に書き上げて意外にも大ヒットしたのが「喜びも悲しみも幾年月」だ…というエピソードには、気取りのない飄々としたお人柄が表れており、会場からは笑いがこぼれました。そして何より映画監督であり実兄である木下恵介氏との素晴らしい信頼関係が、歴史に残るような良い作品に結びついたのだということをあらためて感じ取ることができました。

 今回のフォーラムでは、映像を取り入れることで参加者の皆様にイメージを膨らませてもらうという試みを取り入れたのですが、「喜びも悲しみも幾年月」の部分的な映像は、古くからの灯台守の生活を知る参加者にとっては、感慨深く、暫しノスタルジックな気分に浸る時間となったようです。又昨年上映されたフランス映画「灯台守の恋」の予告編は、断片的ながら、海中にそびえ建つジュマン灯台での厳しい灯台守の生活が伝わる美しい映像で、会場が静まり返りました。

 そして、まさにジュマン灯台を含めたフランスの灯台巡りを現在計画されているのが、今回で2回目の講演になる寺嶋正泰氏です。日本各地の灯台巡りから始まり、東南アジア、オーストラリア、ニュージーランドなど世界各地の灯台をご夫婦で訪れ、ここ数年はヨーロッパの灯台に魅せられているとのこと。今回は「ヨーロッパの灯台事情」について、デンマークの灯台を中心にスライドで写真を交えながらお話しして頂きました。形も色もユニークな灯台の数々は、どれもデンマークという国の異国情緒を感じさせられるものばかり。特に、砂の侵食を受けながら砂地に建つ灯台には、芸術的な印象さえあり、灯台の建造物としての美しさに会場は釘付けとなりました。


 陸から数々の灯台を眺め続ける灯台博士の寺嶋氏の次にフォーラムのアンカーを勤めてくださったのは、海から灯台を眺め続けるヨットマンの田久保雅己氏。田久保氏は、大学時代にヨット部に所属され、主将としてクルージングやレースで活躍され、ご卒業後は雑誌「KAZI」を中心とする出版業務に従事。現在は株式会社舵社の常務取締役編集局長をされている。25カ国をヨットで巡った体験談は、聞いているこちらまでハラハラドキドキとするような緊迫感と共に、海から見る灯台の偉大さが実にリアルに伝わってくる内容でした。
 しけの中で、漁師に教えられた方向に必死の思いでヨットを何時間も進め、やっと灯台の光を見たときの気持ち―「母の導きのような優しさ」、「頼りになる兄貴の『こっちだぞ!』という声」―という表現が大変印象に残りました。そして、「海から見る灯台の風景は、無国籍である」という田久保氏と木下氏の両氏から発せられた言葉には多くの参加者が共感したようです。


 講演終了後は、海に面した江ノ島ならではの立地、懇親会の会場である「レストラン カイ」へ移動。燈光会の玉宮孝氏のご祝辞、犬吠埼ブラントン会代表幹事の仲田博史氏からの乾杯のご発声とともに懇親会の幕があがり、この日を楽しみに遠方から参加された常連の方、ライトハウスキーパーのお客様として初参加の方、共通の趣味の和を広げようと参加された方など、実に様々な参加者の方々が交流を深める賑やかな宴となりました。


 そして、今年もフォーラム懇親会の最後を締めくくった「喜びも悲しみも幾年月」の合唱。  
 この曲には、有名な映画音楽だというだけでは語りつくせない、灯台に携わってきた人々の深い想いがあるということを、私自身(スタッフでありながら)今回のフォーラムでお聞かせ頂いたエピソードを通して初めて知った思いがします。

 特に印象的だったのが、懇親会の後の三次会の席で、昔ながらの知り合い同士と思われるお二人とたまたま同席した際、偶然耳にしたエピソードです。大谷氏と松田氏は、意外にも第二回灯台フォーラムを通して出会ったばかりの「親友」でした。そして、出会ったばかりのお二人を瞬時に親友に変えたのは、松田氏が辿っていた灯台守であるお父上のルーツと、燈光会の玉宮氏の記憶だったそうです。昭和20年代半ばに北海道の恵山岬灯台で灯台守として勤務されていた松田氏のお父上。そして、その厳しい灯台での勤務と官舎での生活を共にしていたのが、当時新婚だった大谷氏のお父上でした。樺太(サハリン)の灯台で生まれて横浜で就職された松田氏と北海道の白神岬灯台で生まれて海上保安庁に勤務されている大谷氏は、数十年の後、まるでお二人のお父上同士が引き寄せたかのように第二回灯台フォーラムで出会い、今もなお、当時の灯台での思い出話、苦労話、お互いのご両親の話など、話は尽きることがないそうです。

 フォーラムを通して、新しい出会いと感動を求めてゆきたいと語る松田氏。そんな彼の言葉を受けて、灯台の歴史と共にある「人の歴史」を伝えてゆく場として灯台フォーラムが定着してゆくことを祈りつつ、第3回灯台フォーラムのご報告を終わらせたいと思います。講演者の皆様をはじめ、参加者の皆様、今回も灯台フォーラムを盛り上げて頂きどうもありがとうございました。

   ライトハウスラバース  スタッフ 
藤木裕子


 




第2回 灯台フォーラム
2005年4月23日(土)

4月23日(土)に江ノ島、かながわ女性センターにて
第二回灯台フォーラムが開催されました。
参加者はなんと65名、老若男女、さまざまな人々が一同にあつまり
皆の関心のまと、灯台についてのお話を伺いました。

講演者も多彩で銚子市のプラントン会会長仲田さん、
海上保安部航行援助センタ ー長の天野さん、
「遠い海までてらせ」でおなじみの童話作家青木さん、
そして国 際ヨットレースに多数出場の白石さん等に
楽しいお話をお聞きし、皆大満足でした。

フォーラムの後は恒例のパーティ、ヨットハウスにてのめやうたえの大騒ぎ!
特にシンガーソングライターのKaruuさんの素晴らしい歌の後は、
彼女の伴奏で 皆で喜びも悲しみも幾年月を大合唱、
老いも若きも肩を組んで大いに盛り上がり ました。
最後はライトハウス・キーパーからの
プレゼントをいただき帰路についたのでし た。


灯台太郎






第1回 灯台フォーラム
2004年3月7日

江ノ島の女性センターにて33名の参加者で開催されました。

宮城の寺嶋さん、海上保安部の幕田さん、
北海道の山崎さん、逗子の三野さん、
それにビデオでエドワードホッパーと灯台も上映されました。
各講演者はそれぞれがそれぞれの切り口で灯台への
思いを語っていただきすごく勉強になり大感激でした。

また、燈光会様からはいろいろと資料のご提供もあり、
皆さん大喜びでした。
後半はヨットハウスにて会食、懇親会がひらかれ、
ノミニケーションも進み、お友達もたくさんでき、
最後はビンゴゲームで空クジなしで皆さん、
景品をお持ち帰りいただきました。
ぜひ秋には第二回を開催したいと考えています。

灯台太郎